周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

朽木未翻刻文書3

『朽木家古文書』未翻刻文書

 

*ワードやエクセルの文章をそのままコピペしただけなので、きちんと表示されていない部分も多々あります。そして、今後それを改善するつもりもありません。

 

 応永十一(一四〇四)年二月日付永継田地売券(八七二)

  売渡 私領田地事
    合小廿四分者  但字堤也
  右件田地者、永継相伝之私領也、為然」依有要用、能米肆石七斗、限永代候
  て」素弥御房売渡申処、実正明白也、但此下地」万雑公事あるへからす候、
  天下一同又ハ公家・武家之」土一器等御徳政行候共、此下地おき候て子々」
  孫々而違乱煩等不可申候、若此下地相違」候ハヽ、所持之名田畠にて入立可
  申候、尚々ち[ ]本米一はいにて買返可申候、此」上者□□儀□申物候ハヽ、
  公方へうんたへけ(たん可カ)ん□□□申候、仍永代売券状如件、

     応永拾壱年二月日      永継(花押)

※勝俣論文

 

 永享十二(一四四〇)年十二月三日付あかめ田地売券(八九〇)
 (端裏書)「みよのさ衛門四郎殿うりけん小川殿むすめあか女」
  売渡 私領田地事
   合壱段者在五条七里十五坪南一五反目壱反也          
  右件田地者、あかめ先祖相伝候也、雖為私」領依有要用、能米壱舛三合入舛定
  参石ニ限」永代寳幢坊仁所売渡実正也、本文書」雖可相副、依有類地不副進
  候て、公方者七里也」、たとい天下一同又土一揆御徳政行候共、於此下地」
  者、不可有改変之儀者也、子々孫々として違(煩カ)乱□申候者、公方様御沙汰と
  して可有御罪科候者也、仍為後日支証新券文之状如件、

     永享拾弐年十二月三日         氏□(花押)
                       あかめ(略押)

※勝俣、宝月量制論文

 

 文安元(一四四四)年十二月二十一日付八田兵部田地売券(八九二)
  (端裏書) 「慶三郎とのうりけん」
  永代売渡田地事
        在横山郷内五条二里一坪
   合 大者 北ヨリ二段目大也、地頭方ニ
        公田本年貢二斗八升可弁

  右件田地者、八田慶二郎せんそさうてん」の所なり、しかるといゑともあた
  ひようく」あるニより候て、能米 斗子舛肆石ニ八田正全仁限永」代売渡處実正明
  白也、本文書あいそへ候」うへワ、子々孫々いらんわつらいあるへからす候」、
  たとい天下一同ニとくせいゆき候共、更々其沙汰申ましく候、」仍為後證う
  りけん状如件、
    文安元年甲子十二月廿一日      八田 兵部(花押)

 

 寛正三(一四六二)年二月日付太山寺奥院高勝売券副状(九二七)
                          (九二一チェック)

  右自奥院朽木殿江売渡申」下地之内、廣瀬南庄地頭方参段半」、依為河崎
                         字梅原   
  (障)故影候条、同庄領家」方下地弐段三百歩一段三百歩ハ字南ノ墻内、一段ハ師子借屋立也、 」所当米貳石
  貳斗也、此下地をもて」逃質ニ当申候上、万一梅原失墜候者」、此下地を

  可押召候者也(カ)、於已後此旨」早明不可有妨者也、仍為後日副状如件、

    寛正参年辛二月日    光地(花押)
                高勝(花押)

※宝月売券論文

 

 寛正六(一四六五)年四月日付近江朽木庄能家下地公事銭日記(七六八)

   能家之御下地之公事銭之日記之事
 本田半 在所ハいけまち      公事銭五百文ゆれう五十文 三とニ
 新田半 在所ハいそきはら     公事銭二百文ゆれう五十文 三とニ
新田半 在所ハとうしか谷ノ口   公事銭百廿文ゆれう五十文 三とニ
新田半 在所ハゆるの下      公事銭百六十文ゆれう五十文 三とニ
 新田小 三年あれて候     在所ハわかさ谷ノ口   公事銭百卅二文ゆうれうハなし三とニ
     以上二反小也   公事銭一貫百五十文也ゆれう二百文也春出候  三とニ
    三年之間、御わひ事申候へ共、かなわす候ニよつて、
   如此日記進上申候、毎年一貫三百十五文ツゝ三年弁申へく候、
   小之公事代ノ御下地ハをよひくニ作仕候処、凡三年
   あれて候間、毎年ニこのふんの公事を私ほとに、
                 □□□□なく候、
    寛正六年卯月日     ふるかわノ     しきふ入道

※古川論文

 

 応仁元(一四六七)年十二月二十七日付室町幕府奉行人連署奉書案(七〇〇)

  近江国朽木郷事、被止御料所之儀被返付訖、早守先例、可被致沙汰之由、
  所被仰下也、仍執達如件、
   応仁元年十二月廿七日    (布施貞基)   下野守判
                 (飯尾之種)   肥前守判
    佐々木朽木(貞高)信濃守殿

※大音論文

 

 文明四(一四七二)年八月四日付山門西塔院政所集会事書案(六八六)

  文明四年八月四日、山門西塔院政所集会議曰、
   可早為堂勢沙汰被相触西佐々木朽木方事、
  右御料所船木関代官職事、松波左衛門大夫被仰付訖、然而、陸地湖上之儀、
  為當院自専之間、別而以成敗致警固、可沙汰居之旨、被成厳重奉書之條、   
  及上使之下向者也、早令改易先代官、為松波代可全関務之由可被相触之、
  万一敵対之儀在之者、云 公儀、云山上輿、以違背之上者、可被及一段儀  
  之旨群議而已、

※島村論文

 

 文明五(一四七三)年十二月日増慶田地売券(九五七)
  (端裏書) 「小川宣陽殿永地」
  永代賣渡申田地事
       在所者御代川堂南ヨリ五条七里十九坪
   合貳段者壱段石代年貢七升五合、五条七里十五坪壱段九斗代年貢七升五合、七里免貴布祢
       新田也、八ヶ年一度けんちう役二反六十文也、此外ハ万雑公事無也            
 右件田地者、増慶せん祖相伝之私領也、雖然」依所有要用能米壱升四合入升定
 七石五斗」五升仁朽木岩神御庵限永代賣渡申」処実正明白也、本文証一通相副
 申上者、不可有相違候、一通者本証文裏破候、」此上者末代号我等子孫違乱煩
 申輩」出来候者、為公方様堅可被處御罪科者也、」猶以相違事候者、私領内在
 所にても候へ此」下地相当程押めさるへく候、其時一言子細申」ましく候、仍
 為末代亀鏡放券状如件、
   文明五年癸巳十二月日       宣陽  増慶(花押)

※宝月量制論文

 

 文明九(一四七七)年二月四日付孫次郎田地売券(九六七)

     売渡申私領田地之事
      合壱所者アサナシヤウフワラ卅刈此内
      公方八升本斗舛定 造榮脇
      定得六斗四舛  途中舛定
   四至 限東兵衛次郎田 限南南楽坊田限西高□    限北 河□ 
  右件田地者堂下孫次郎先祖相伝私領也、雖然」依有直用現銭七貫文仁永代□
  □(空白)[  ]」実正明白也、本文書四通相副売渡進候上者、」永代共相違可有
  御知行者也、万一於此下地」菟角申候輩在之者、訴 公方様可所盗人」御罪
  過也、仍為後証〔鏡〕亀鑑売券状如件、
    文明九丁酉年二月四日      売主  孫次郎(花押)

※宝月量制論文

 

 文明九(一四七七)年三月十七日付良俊料足借券(六一九)

        (花押)
    借用申料足之事
     合五百疋
   右之御用却者、本利共来」八月中可被返申候、若無沙汰」之儀在之者、任
  法堅可被催」促候、仍為後日借書如件、
    文明九三月十七日     良俊(花押)
       御奉行所


 文明九(一四七七)年十二月五日付五郎四郎等連署合力銭借券(六二〇)
 「午 村井合力之銭作替(カ)文そ」
  借申合力銭之事
   合二貫文者
  右件料足者、仍有用要、借」申所実正也、来秋之時本利」共返弁可申候、
質物ハ  竹之内前二反」入置申候、無沙汰申候ハヽ、本利」相当程可召候、依為後
  日借状如」件、


     文明九年極月五日  五郎四郎(略押)
           村井惣 衛門  (略押)左近  (略押)

 

 文明十(一四七八)年十二月五日付岩神源次大夫屋敷売券(九九一)

   永代売渡申新殿御屋敷之事
    合御屋敷一所者 北ハ御立候クイヲ境、南ハ路ヲ境、西ハ溝ヲ境也   
  右之御屋敷者、岩神源次大夫先」祖相伝之私領也、雖然依有」要用、現銭一
  貫文ニ御屋形様売渡申処実正明白也、」我等為子孫於後日子細」申者出来候
  者、堅御」可有罪過者也、依而為後」日証文状如件、

   文明十年戊戌十二月五日 売主
           岩神源次大夫(略押)

 

 文明十四(一四八二)閏七月二十八日付室町幕府奉行人連署奉書案(六六一)
 佐々木小(京極)五郎高清申」、(六角高頼)同名四郎行高事、令三強」入二部江州高嶋郡一(種々)、種任二」
  雅意一、剰今度非二御成敗一之」處、号二百姓退治一、差二遣軍勢一」度々及二合
  戦一云  々、以外次第也」、所詮早相二談高清一、堅相二支之一」、可レ被レ致二忠節一、
  更不レ可レ有二」遅怠一之由、被二仰出一候也、仍」執達如レ件、

  文明十四
   閏七月廿八日(飯尾) 清房判
         (飯尾) 元連判
    佐々木田中四郎五郎殿

 

 文明十四年閏七月二十八日付室町幕府奉行人連署奉書案(六六二)
  佐々木(京極)小五郎高清申、同名四(行高事)郎□□□」、令強入部江州高嶋郡、種々任雅
  意」〔剰〕、□今度非御成敗處、号百姓退治、差〔軍〕遣□勢度々及合戦云  々、以外次第
  也、所詮」相談高清、堅相支之、可被致忠節、〔不可〕更□□遅怠之由、被仰出
  候也、仍執達如件、

    文明十四
      閏七月廿八日  (飯尾)  清房
              (飯尾)  元連
     佐々木越中守殿

※下坂『高島町史』

 

 文明十六(一四八三)年五月二十一日付岩神殿御米算用状(七九二)

   文明拾五年岩神殿御米算用状之事
     合参拾石古川衛門五郎方より請取
                 荒川舛定   
      此内一石五斗舛之かん米
    残貳拾捌石五斗之内
           八斗五舛五合かん米
    其残弐拾七石六斗四舛五合本米
     利分拾六石五斗八舛七合六和利分
    并已上四拾四石弐斗参升二合之内
 文明十五年十二月十五日 一石一斗二升  代二貫文        古川方飯田方 両人請取在之
 同十七日 四石四斗八升  代八貫文        同
 同廿五日 貳石八斗    代五貫文        同
 同廿九日 五斗六舛    代壱貫文        同
 文明十六年正月廿八日 四石四斗    代八貫文        同
 同二月一日 三石三斗    代六貫文        同
 同三日 二石六斗五舛  代五貫文        同
 同九日 一石五斗九舛  代三貫文        同
   │││││││(紙継目蕨野親行裏花押)││││││
 同廿五日 貳石      代四貫文        同
 同日 貳石八舛    代四貫文        同請取一ツニ在
 同卯月日 四石五斗    代九貫文        同
 正月日 五斗      あら川ときの□へ    請取なし
 三月日 三斗八舛    栃生□引□□      両人請取在之
 同十三日 五斗      宮前番上        同
 同二月三日 弐斗五升    樫村惣中へ御下行    殿様御判在之
 同九日 三石      清水ニ渡        同
 同卯月五日 壱石   りんしとありおこニ渡     同
 是ハ正月より被渡候間、米をうり候ておき候、 一石一斗    代二貫文        下殿御出時二月四日ニ渡申候  
  七斗三舛                千句御飯米
  一石七斗一舛  代三貫四百二十文    同千句御かい物     長老御出まて注文別紙ニ在
  二斗五舛    代五百文        千句之(カ)時樽二ツ
  二斗五舛    代五百文        長老様御申(カ)時樽二ツ
  二石                  度酒米
 三月より五月まて 四斗■■■■ 御下用の舛ニ五斗四升   市原方飯米
    七舛一合    
  五斗      松井右衛門大郎渡    古川方飯田方両人請取在
  ││││││││(紙継目裏花押)││││││││
  三石    御上さまへ参候       同
  六斗三升         千巻□経御祈祷之時飯米
  一斗      代二百文にこり酒    同
  五舛      代百文山のいも     同
  七合五夕    代十五文す       同
  一石二斗五舛  布施代祈印まて二貫五百文       同
  一石三斗二舛六合    かん米

    已上四十九石二斗四合五夕之内
       四石九斗七升二合五夕過上
                引違分

   文明十六年五月廿一日  (蕨野)  親行(花押)

※藤田論文

 

 文明十九(一四八七)年正月日付関出銭算用状・料足納状(七九八・七九九)
 (端裏書) 「さん用状
   (葛川)かつらかわ(公方様)くはうさま御こもり[ (日記)]にんきこの内あり
   さん用状
   くわんとう(若君様)わかきみさま御上入めにんきこの内ニあり
   さん用状
        ]月あてにんきこれあり」
    納(関) 開毎月出銭之事
      文明十九年正月日
   三百六十一文   正月分取(日記)上にんきまいる
   壱貫二百六十一文 二月分取上にんきまいる
   三貫八百六十一文 三月分取上にんきまいる
  〔三〕 □貫四百文    卯月分取上にんきまいる
   五貫九文     五月分取上にんきまいる
   八貫四百四十九文 六月分取上にんきまいる
   │││││(紙継目裏花押・古川貞国)│││││
   四貫五百廿八文  七月分取上にんきまいる
    以上弐十六貫八百八十二文内ひくにんき
   四貫九百文    御上様御月((日野富子))あて正月より七月まてまいる
   壱貫四百文    清水方月あて正月より七月まて渡
   壱四貫百五十一文  いゝ田五郎さへもん月あて渡此外市買あり
   四百二十七文   若君様御上御むかい衆さいしやう
   卅一文      (聖護院)しやうこいん殿御時
   三百六十文    此内二百六十文ひをき殿たいこ入め取百文ふせん殿さけ代取       
     以上八貫五百六十文ひくなり
     │││││(紙継目裏花押)│││││
   のこりて十八貫三百廿文定下行

   納 料足之事
      合文明十九年正月
  三月十日 二百文     (麻生) あさう三郎大郎家代
  三月廿日 二百文     (地子) ちし原平四郎家代
  五月日 三貫九百文    (領家夫賃)りやうけふちんのこり百五十文あさう郷かり引
  六月日 二貫五百文    つきけの御むま代かつ はくらうかたよりいたす
  七月廿日 百五十文    (椋) むく川〔くカ〕ちいてんのもの家代
  七月 七貫文      こんさうすきやうたいけんそ御れいもつ        
  七月 貳貫文      そ谷けんそれいもつゑいさうすやと  
     │││││(紙継目裏花押)│││││
  六月 三貫五百文    ゑいさうすさうもつこうしやうしよりうけ取申 
  六月 四十貫文     地下へ(懸銭)かけせん
  五月十一日 十貫文      ちやうせういんにて御(借銭)かりせん
  五月廿四日 三貫文      た中殿よりうけ取申   わかきみさま御上御一こん
  五月廿六日 五貫文      なかた殿よりうけ取申おなしく      
  五月九日 九百六十一文   わらひの方より五貫六十三文わかきみさま御上かい物代出
            四貫九十五文かい物京より下その          のこりなり
   廿四貫五百文   (河狩)かわかり秋掌銭

 惣以上関出銭まて并而百貳十壱貫二百卅五文□□□
         □
        (後欠)

※島村論文

 

 明応五(一四九六)年十一月日付年貢米諸納帳(八〇四)

  御年貢米諸納帳之事
   合明應五年十一月日

  壱石七斗七升    本庄取納米
 八石七升九合八夕  椋川取納米
 三石九斗      麻生取納米
 六斗三升      地子原領家米
 四斗五升      麻生領家米
 壱斗九升九合五夕  庄脇年貢米
            うつを谷申候 
  九斗二升五合    家一半在家年貢
                  米 
  壱石六斗九升    洞谷中野年貢
[     ]    洞谷大谷口あらほり
                年貢米 
[  ]五升     洞谷衛門作年貢米
[     ]    あら川しとう谷年貢米


 明応十(一五〇一)年正月十一日付古川修理亮若狭大椙関代官職請文案
                               (六六五)
  大聖寺殿様御領若州大椙関四分一古川」修理亮方預リ申分、御代官職申請
  御請文之事」、右於御公用者、自四月至九月六ヶ月者」、月別弐貫弐百五拾
  文宛、自拾月至三月」六ヶ月者、壱貫弐百五拾文宛、以上年中」弐拾壱貫
  文厳重可進納申、万一無沙」汰之儀候者、雖為何時可被召放、其時」全不
  可及一言者也、仍為後日請文状如件、

     明応十年 正月十一日           名字  判
    大聖寺御雑掌

※藤田論文

 

 文亀二(一五〇二)年十一月七日付佐々木六角氏年寄連署奉書案(六六六)

  高島郡河上庄地頭代官之事、被望申之上者、被渡付訖、但於無御忠節者、   
  重而被相改、成敗為此方可被仰付候由候也、仍執達如件、
                   (宮木) 
    文亀貳年十一月七日       高祐在判  
                   (三上) 
                    頼安
     朽木殿雑掌

※大音論文

 

 大永五(一五二五)年十二月吉日付大豆算用状(八二七)
 (端裏書) 「御屋形参大豆御算用状事大永五年」

   納 大豆帳之事
      合大永五年 八合舛定
   貳石三斗八舛八合   椋川年貢
   貳石七斗三舛     麻生年貢
   貳石二斗五舛八合   本庄年貢
   六斗         庄わき
   五斗五舛五合     半在家
   四斗六舛       平良
   三石三斗五舛五合   林畠年貢
   四斗七升       同職仕畠年貢
               壱さくはたけの      ねんく
       已上拾二石八斗九合
     賣買舛ニツゝムル定
       拾石貳斗四舛七合八夕

     賣買舛定
   壱石四斗三舛      洞谷中野年貢
   三斗七舛五合      椋川節物
   二石八斗五舛      七郷より御馬大豆引替
       已上四石六斗五舛五合
    并惣都合 拾四石九斗二合八夕

    大豆 御下行日記
      合大永五年

   五舛          畠田収納肴
   五舛          本庄収納肴
   三舛          領家収納肴
   五舛          椋川収納肴
   五舛          麻生同
   十石八斗六舛二合    御馬かい江渡 御陣まて持候分
      已上拾壱石九舛二合
    賣買ツゝムル定
      八石八斗六舛四合六夕

       賣買舛下行日記
   三石          みそまめ
   一斗          なつとう
   三舛          とゝき
   一斗          きやう一
   八斗          大ち
   九斗六舛        あちや
   三斗          としり布施
   四斗六舛        御五人まいる
   四斗五舛        正月たうふ代
      已上六石貳斗

     并已上拾五石六舛四合六夕
     残而 四斗一舛四合一夕 借申分
       大永四年借用分
     本 貳石一斗三舛八合
     并 貳石五斗五舛二合一夕
     此利平 壱石二斗七舛六合
     惣都合 三石八斗二舛八合一夕御借物也
      大永五年拾二月吉日 小川式部丞   吉行(花押)
    進上

 

 大永六(一五二六)年十二月二十七日付古川守国所当米借券(六一五)

  預り申御所当米之事
    合壱石八斗三升者
  右之御所当米之儀者、預り申処実」正也、然間来二月中可参候、其間」質物者宮前平
  五郎大夫作仕候下地」壱段之内三畝分入置申候、若来」二月中不参候者、可被召置候、
  其時聊」菟角わつらい申間敷候、仍而為後日預り」状如件、
   大永六年拾二月廿七古川修理進日  守国(花押)

 

 天文九(一五四〇)年三月十日付佐々木六角氏年寄連署奉書案(六八三)

 朽木山江動従郡内柴木盗伐捕」由無是非次第也、先年被仰出訖、然仁」近年猶以増長云々、
 於山盗人者、」搦捕可被加誅罰旨、被対稙綱被」仰付訖、朽木地下人於郡内号」相当毎ゝ
 違乱族在之由有其聞、為事実者、盗人許容条共以」可被加御成敗間、御領中此趣」可被
 相觸之由被仰出也、仍執達」如件、
                   (野寺) 忠行在判
    天文九年三月十日       (後藤) 高雄在判
    越中大蔵大輔殿
    山崎殿
    横山殿
    田中殿  雑掌 □□□□

※鈴木論文

 

 天文十二(一五四三)年七月十日付佐々木六角氏年寄連署奉書案(六八四)

朽木殿領中山木盗」伐採事、先年雖レ被レ成二」奉書□一、不二相止一之由、無二」是非一次第
也、猶以不レ能二」承引一族在之由、可レ被レ加二誅罰一旨、被二仰出一条、」御領中堅可レ被二相
觸一者也、」仍執達如レ件、

  天文十二年七月十日
       (野寺) 忠行在判
       (後藤) 高雄在判
  越中大蔵大輔殿
  田中四郎兵衛尉殿
  永田左馬助殿
  横山三郎左衛門尉殿
  山崎下総守殿雑掌

 

 天文十二(一五四三)年十月吉日付御蔵納米算用状(八三三)

      御蔵納米御算用状
     天文拾貳年十月吉日御収納分米
       椋川郷納分 但 七合舛定
   八石七舛九合六夕 これヲうりかいの舛ニちゝめて
     五石六斗五舛三合三夕有
       麻生郷納分 但 七合舛定
   三石九斗    これヲうりかいの舛ニちゝめて
     貳石七斗三舛有
       本庄御納七合舛高額者   御ちやうに見候可申
     壱石壱舛七合八夕有 うりかい舛ニ  ちゝめての分也、
       洞谷わきの物之御年貢分
       高額者御ちやうニ見候可申此内庄わき   半在家之分者うりかいの舛ニちゝめての分也
    壱石八斗八舛五合三夕有
      畠田御納 彦舛定
   三斗六舛五合有 但川成之外     こまの時為御引替被参
       河原田御納     彦舛定此内三斗
       高額御ちやうニ見候可申 両度ニ八瀬御座之時ふち米にてまいる       
    三石六斗六舛六合五夕 但川成之外
       本庄領家御納
       高額御ちやうに見候可申
    貳石二斗六舛六合二夕五才 但七合舛うり   かいにちゝめて分也
    此内壱斗三舛五合者こまの時か畠田被参也
    □石 已上

   合惣都合 拾一石五斗八舛八合也
     此内 五斗こまの御時まいる引□
   定残而拾七石八舛八合御蔵納也

     同御下行分
 舛うりかい 三石    御ちの人へ渡申   正月御せ□しゆの米
 舛同 三斗     同人へ  同そへにわたし申
 舛同 壱石     同人へわたし申  正月中けんしゆのさか米
 舛同       同人へ
  貳斗       四月御ふつしの時御ひきかへにわたし申          
 舛同 一斗     同人へわたし申  七月こまの時御引かへに渡申
 舛同       同人へ
  二斗       八せにて御ふるまひの時の人夫の米に候て渡申       
 舛同       同人へ
  二斗       やゝさま御くしおきの時の入めにてわたし申    
 舛同 一斗       十二月十三日御きたうの■■   あ□たのにこりさけニ
           下行
 舛うりかいの分也 五斗一舛     椋川の御(収納カ)しゆなふに御く□米
      八合の舛ニのへてハ六斗三舛也小日記へちにあり      
 舛うりかいの分也 三斗□舛     久□□に渡八せにて御飯米ニ下て返弁に   
      八合の舛ニのへてハ四斗也 上申
 舛うりかい 三斗       椋川御しゆなふの魚之代
 舛うりかい 三斗       畠田御しゆなふの魚之代
 舛同 三斗       麻生の御しゆなふの魚之代
 舛同 三斗       本庄御しゆなふの魚之代
 舛同 三斗       本庄領家御しゆなふの魚之代
 舛同 壱斗       河原田御しゆなふの酒之代
     此已上七石五斗二舛者

    同御飯米かた
 舛うりかい定 四石四斗六下用分者おこ小日記ニあり舛六合         十一月分
                   ちやうわんりんしかけての分也  
 舛同 壱石三斗二合 十月分候此残り   [ ]かたよりまいる 十月分
         米にておこに下行ちやうわんりんしかけて
 舛同 三石七斗八舛          十二月分
                  ちやうわんりんしかけて分也 
     末十日ハ御飯米あけ申也

    此以上九石五斗四舛八合者
   惣都合 拾七石七升八合者
      残者壱升 兵部丞預申也

    同大豆之分

         (八三四に連結カ)

 

 天文十三(一五四四)年二月吉日付御蔵納大豆算用状(八三四)

 八合舛ヲうりかいにちゝめて分 貳石二斗七舛三合    高額御ちやうに見候可申川成外    本庄御納
 同八合舛ヲちゝめて分 壱石六斗七舛            洞谷わき物御納□□□うの□□
 同八合舛ヲちゝめての分 貳石壱斗九舛二合          林畠御納
 彦舛之定 四石二舛七合 高額御ちやうに見候可申川成引□          畠田御納
 八合舛うりかいにちゝめての分 壱石九斗一升四夕          椋川御納
 同八合舛ヲちゝめての分 貳石九舛八合四夕          麻生御納
     惣以上拾四石五斗七舛八夕者

    同御下行分        舛うりかいの定
  三石          御ちの人へ   ミそまめに渡申
  壱石貳斗           同ミそかうしに御下行
  壱斗五舛           椋川麻生領家三度之 さかなのたうふのまめ
  五舛             畠田のさかなにまめ
  五舛             椋川さかなにまめ
  五舛             麻生さかなにまめ
  五舛             本庄さかなにまめ
  三舛             領家さかなにまめ
  一舛             □まへりの時入め
  一舛             家□宮こもりの時被遣わ
  三斗             ぬし屋ニ御下行
  四斗             番匠ニ御下行
  三斗             かちニ御下行
  貳斗             くま大夫ニ御下行
  六斗八舛     一日より  御きたうまて  正月のたうふのかたへ御下行       
  壱斗             河原田の祝ニ御下行
  四舛             九月の御きたうにたうふの入め  
 十一月十五日 壱斗二舛           百しやうしゆニ御酒被下時也わ□いおのたうふの入め  
  六舛     十二月十八日    御れんかの時たうふの入め        
  九舛     十二月十三日    御きたうの時たうふの入め        
  一舛             御れんかのいりまめ
  五舛     なつとうまめ    御れんか御きたう二との御用ニ入め
  壱斗     正月中の御用      入め   なつとうまめ
 八合舛定うりかいにちゝめて分 壱石四斗二舛四合       御馬のかい料ニ下行
    但正月廿八日より四月中まての分このまてハ御馬二疋候出入め□ 
  同うりかいにちゝめて分壱石三斗六舛         御馬のかい料
    天十二年中分 □拾月十一月十二月十二月
    同天十三年分 正月二月三月十八日まての分渡申

    此以上九石八斗三舛四合者
   残而四石三斗三舛六合八夕者
    御蔵ニ有分者   兵部丞預り申也

   天文十三年二月吉日    綱祐(花押)
        八田大郎次郎殿
    欠米ヲ立不申候へとも彦舛之延ヲ欠ニ
    先仕分に御算用状候

 年未詳□月十三日付室町幕府奉行人奉書(七四七)
  近江国高島(保)郡芳坂関□□事、佐々木四郎政堯契約之旨、致山中警固當知行
  云々、□□不可有相違之由、所被□□□執達如件、
                  (斎藤種豊)
   [  ]十三日          加賀守(花押)

※鈴木論文。

 

 年月日未詳某書状案(六三一)
  就保坂関五分一之儀先刻、預御状候、此関事ハ」鈎 御所為様御料所被成御奉書候」、
  不可(後略)

※鈴木論文。