周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

洞雲寺文書13

   一三 友田興藤寄進状

 

 天倫妙地妙蔵爲茶湯免、吉木庄之内仁下地貳段、末代奉附之訖、毎日

 可御廻向者也、仍寄進状如件、

    (1536)

    天文五年申丙八月十日       前上野介興藤(花押)

        (宗春)

  進上 洞雲寺天庵東堂 衣鉢閣下

 

 「書き下し文」

 天倫妙地・妙蔵茶湯免として、吉木庄の内に下地貳段、末代之を寄進し奉り訖んぬ、毎日御廻向に預かるべき者なり、仍て寄進状件のごとし、

 

 「解釈」

 親である妙地・妙蔵の茶湯免田として、吉木庄内の下地二段を将来にわたって洞雲寺に寄進し申し上げました。毎日妙地・妙蔵の冥福を祈って供養するべきものである。よって、寄進状の内容は以上のとおりである。

 

 「注釈」

「天倫」─①自然の条理。②兄弟、同胞、親子関係(『日本国語大辞典』)。

「妙地妙蔵」─未詳。「天倫」を親子や兄弟関係と理解するなら、「妙地・妙蔵」は友

       田興藤の親か兄弟の法名かもしれません。ここでは仮に両親としておき

       ます。

「茶湯免」─当時、葬送や法要の際に、仏前・霊前に茶を供えていたそうです。この文

      書の場合、亡くなった妙地・妙蔵の冥福を祈るために茶を供えたものと考

      えられます。その費用として吉木庄内の二段の土地を年貢免除にし、年貢

      の収取権を洞雲寺に寄進したのでしょう。吉村亨「葬礼儀礼の茶俗」

      (『人間文化研究』京都学園大学人間文化学会紀要二五、二〇一〇・

      三、http://ci.nii.ac.jp/els/110007730820.pdf?id=ART0009529994&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1479049631&cp=)など参照。

「吉木庄」─豊平町吉木。長笹村の東に西宗川を隔てて位置する。北は都志見(つし

      み)、東は阿坂(あざか)、南東は今吉田、南は沼田郡小河内(おがう

      ち・現広島市安佐北区)などの諸村に接する。厳島社領あるいは吉川氏支

      配の所領として度々史料に見える(『広島県の地名』)。

「前上野介興藤」─友田興藤。もと厳島神主。

「洞雲寺天庵東堂衣鉢閣下」─洞雲寺住持、五世天菴宗春。東堂は住持を引退した僧を

              指します。したがって、この時すでに住持職は六世大休

              登懌に移っていたと考えられます。また、9号文書の注

              釈で、衣鉢閣下という役職は、住持へ出世する前に就く

              役職と述べましたが、住持を引退した僧が就くこともで

              きることがわかります。