奉二寄進一
(豊田郡)
安芸国沼田庄梨子羽郷内蟇沼寺〈今者」号二東禅寺一〉修理料所寂仏来善乃力名事
右当寺者、為二十一面観世音尊像一霊験是新也、而炎上之後、久不レ終二土木功一之
旨、依レ被二聞食及一、且任二宝治二季寄進状之旨一、被三停二止万雑公事所当米
等一、且為三興二隆仏法一、如レ元所レ被三寄二進当寺一也、然者早天長地久 寶祚
延長 別御家門繁昌、殊可レ被レ致二御祈祷忠勤一、仍寄進状如レ件、
(1340)
暦応参季〈庚辰〉正月八日
橘朝臣(花押)
*割書とその改行は〈 」 〉で記載しています。
「書き下し文」
寄進し奉る
安芸国沼田庄梨子羽郷内蟇沼寺〈今は東禅寺と号す〉修理料所寂仏・来善・乃力名の事
右当寺は、十一面観世音を尊像と為す霊験是れ新たかなるところなり、而るに炎上の後、久しく土木の功を終へざるの旨、聞こし食し及ばるるにより、且つは宝治二季の寄進状の旨に任せ、万雑公事・所当米等を停止せられ、且つは仏法を興隆せんが為、元のごとく当寺に寄進せらるる所なり、然れば早く天地長久・宝祚延長、別して御家門繁昌、殊に御祈祷忠勤を致さるべし、仍て寄進状件のごとし、
「解釈」
寄進し申し上げる、安芸国沼田庄梨子羽郷蟇沼寺〈今は東禅寺と名乗っている〉の修理料所寂仏名・来善名・乃力名のこと。
右、当寺は、十一面観世音菩薩を尊像とする、まことに霊験あらたかな場所である。しかし、炎上した後、長い間造営を終えてなかったことを、領家がお聞き及びになったことにより、一方では宝治二年の寄進状の内容のとおりに、万雑公事や所当米の賦課をご停止になり、他方では仏法を興隆しようとするために、以前のように当寺にご寄進になったのである。したがって、早く天地長久・宝祚延長、別に領家の一族繁栄を、とりわけ忠実に御祈祷しなければならない。よって、寄進状は以上のとおりである。
「注釈」
「為十一面観世音尊像霊験是新也」部分の書き下し、解釈ともによくわかりませんでした。
「土木」
─建築・造営(藤田龍之「わが国における『土木』の語議と歴史的経柏過について」『日本土木史研究発表会論文集』 9、1989、https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1981/9/0/9_0_27/_article/-char/ja)。