二五 毛利氏奉行人連署打渡状
藝州安南郡温科打渡事
合
一田數壹町貳段七畝畠共ニ
分米拾石貳斗貳升代方共ニ
屋敷貳ケ所
(1597) (堅田元慶)
慶長貳年三月廿三日 兵少(花押)
(二宮就辰)
信濃(花押)
(榎本元吉)
中務(花押)
(張元至)
六左(花押)
(佐世元嘉)
石見(花押)
(景重)
能見源兵衛殿
*書き下し文・解釈は省略します。
「注釈」
「温科」─広島市東区温品。もと国衙領(『講座日本荘園史9 中国地方の荘園』)。
「分米」─斗代に面積を乗じて算出された貢租の米の高。銭で納入すると分銭(『古文
書古記録語辞典』)。
「代方」─未詳。
「能美源兵衛」─十代景重。