二四 毛利氏奉行人書状
(端裏捻封ウハ書ヵ) (佐世)
「 佐与三左
(景重)
ーー 能美源兵衛殿 元嘉」
以上
其方事、先度能美衆給地定之時、相煩候而不二罷出一候、今度罷下候間、以二惣並一
給地可二宛行一候、殊水夫三人召連候、彼者共ニも惣水夫並を以給地可二宛遣一候、
(圓知)
猶南湘院可レ被レ申候、恐々謹言、
文禄貳年(1593)
卯月廿二日 元嘉(花押)
「書き下し文」
其方の事、先度能美衆の給地を定むるの時、相煩ひ候ひて罷り出でず候ふ、今度罷り下り候ふ間、惣並を以て給地を充て行ふべく候ふ、殊に水夫三人召し連れ候ふ、彼の者共にも惣水夫並を以て給地を充て遣はすべく候ふ、猶南湘院申さるべく候ふ、恐々謹言、
「解釈」
そちらのことですが、先だって能美衆の給地を決めたとき、差し障りがありましてそちらに伺いませんでした。今度そちらに下向しますので、他の能美衆と同様に所領を給与するはずです。とくにあなた様は水夫三人を召し連れております。彼らにも他の水夫と同様に所領を給与するはずです。なお、詳細は南湘院が申し上げるはずです。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「能美源兵衛」─十代景重。
「南湘院圓知」─未詳。