二六 比丘尼浄蓮寄進状
寄進 楽音寺三重宝塔建立助成田事
合壹町者〈羽坂村八段内三所合、」大門興二反内田皆在二四至堺一〉
右件田者、尼浄蓮之先祖相伝私領也、」而為二 関東将軍家次浄蓮并向後」当郷
相伝輩現当二世悉地成就一、割二」別本門田内壹町一、所レ令三寄二進於楽音」寺一
也、然者於二浄地房舜海沙汰一、令二宝」塔建立一、可レ抽二御祈祷精誠一、於二
当郷」地頭職相伝仁一者、全以不レ可レ致二其妨一、仍」為二向後亀鏡一、寄進之状
如レ件、
(1290)
正応参年〈庚寅〉四月十五日
比丘尼浄蓮(花押)
「書き下し文」
寄進す 楽音寺三重宝塔建立助成田の事
合わせて一町てへり〈羽坂村八段の内三所合わす、大門興二反内田、皆四至堺在り〉
右件の田は、尼浄蓮の先祖相伝の私領なり、而るに関東将軍家次いで浄蓮并びに向後当郷相伝の輩現当二世の悉地成就の為、本門田の内一町を割き別け、楽音寺に寄進せしむる所なり、然れば浄地房舜海の沙汰に於いて、宝塔を建立せしめ、御祈祷精誠を抽づべし、当郷地頭職相伝の仁に於いては、全く以て其の妨げを致すべからず、仍て向後の亀鏡の為、寄進の状件のごとし、
「解釈」
楽音寺三重の宝塔建立の助成田を寄進すること。
都合一町。〈羽坂村八段。三ヶ所を合わせた分。大門興二反内田。すべて東西南北の堺がある。〉
右、この田地は、尼浄蓮の先祖相伝の私領である。しかし、関東将軍家、次いで浄蓮、ならびに今後の梨子羽郷を相伝する者の、現世と来世の悟りの成就のため、本門田のうち一町を割き分け、楽音寺に寄進するところである。そこで、浄地房舜海の取り計いによって、宝塔を建立させ、真心を込めて祈祷するべきである。当郷の地頭職を相伝する者は、けっして寄進田の領有を妨害してはならない。そこで、今後の証拠のため、寄進状は以上のとおりである。
「注釈」
「羽坂村・大門興」─未詳。