久寿二年(1155)八月二十七日条(『増補史料大成 台記』2─168頁)
廿七日壬寅、親隆朝臣来語曰、所三以法皇悪二禅閤及殿下一余者、先帝崩後、
人寄二帝巫口一、巫曰、先年人為レ詛レ朕打二釘於愛宕護山天公像目一、故朕目
不明、遂以即レ世、法皇聞二其事一、使三人見二件像一、既有二其釘一、即召二
愛宕護山住僧一問レ之、僧申云、五六年之前、有夜中□□□□□□□□、美福門院
及関白、疑二入道及左大臣所為一、□法皇悪レ之、雖レ難レ取レ信、天下道俗所レ
如レ此、先日成隆朝臣略□此事、今聞二両人説一、□畏不レ少、但禅閤及余、
唯知二愛宕護山天公飛行一、未レ知三愛宕護山有二天公像一、何況祈請乎、
蒼天在レ上、白日照□□怖々、〈◯々下恐闕分〉
「書き下し文」
二十七日壬寅、親隆朝臣来たり語りて曰く、「法皇禅閤及び殿下・余を悪む所以は、先帝の崩後、人帝を巫の口に寄す、巫曰く、『先年人朕を詛はんがため釘を愛宕護山の天公像の目に打つ、故に朕の目明らかならず、遂に以て即世す』と、法皇其の事を聞こし、人をして件の像を見しむるに、既に其の釘有り、即ち愛宕護山住僧を召して之に問ふ、僧申して云く、『五、六年の前、夜中〜有り』と、美福門院及び関白、入道及び左大臣の所為を疑ひ、法皇も之を悪む、信を取り難しと雖も、天下道俗申す所此くのごとし」と、先日成隆朝臣此の事を略□す、今両人の説を聞くに、怖畏少なからず、但し禅閤及び余、唯だ愛宕護山天公の飛行するを知るのみ、未だ愛宕護山に天公像有るを知らざるに、何ぞ況んや祈請するをや、蒼天上に在り、白日照らせ、怖づ怖づ、
「解釈」
二十七日壬寅、家司の藤原親隆朝臣がやって来て言うには、「鳥羽法皇が禅閤(記主の父・藤原忠実)と殿下(記主・藤原頼長)を憎む理由は、次のようなものでした。先帝(近衛天皇)が崩御した後に、ある人が先帝の魂を巫におろして語らせました。巫が言うには、『先年、ある人が私を呪詛しようとするため、愛宕山の天公像の目に釘を打った。そのせいで私の目は見えなくなり、とうとう死んでしまった』と。鳥羽法皇はこの話をお聞きになり、人に命じてその天公像を見させたところ、紛れもなくその釘があった。そのまま愛宕山の住僧をお呼び寄せになって問いただした。僧が申して言うには、『五、六年前、夜中に〜という出来事があった』と。美福門院(鳥羽院の皇后・近衛帝の生母・藤原得子)と関白(記主の兄・藤原忠通)は、入道(記主の父・忠実)と左大臣(記主・頼長)のしわざを疑い、鳥羽法皇も二人を憎んだ。信じられないことだが、世間の人々はこのように申しております」と。先日、家司の藤原成隆朝臣もこの件を大まかに申し上げた。いま二人の話を聞くと、とても恐ろしい。ただ、父も私も愛宕山の天公が空を飛ぶことを知っているだけで、愛宕山に天公像があることは今まで知らなかったのだから、どうして呪詛することができようか、いやできはしない。神よ、必ず天からご覧になり、事実を白日のもとに晒してください。恐ろしいことであるよ。
*書き下しや解釈、注釈などは、原水民樹「『台記』注釈(久寿二年七月~九月)」(『言語文化研究』巻12、2005-02、 https://tokushima-u.repo.nii.ac.jp/records/2000829)、久留島元「天狗説話の展開」(『怪異・妖怪文化の伝統と創造 : ウチとソトの視点から』国際日本文化研究センター、2015.1、https://nichibun.repo.nii.ac.jp/records/2157)を参考にしました。
【コメント】
この史料、藤原頼長失脚の原因を記したものとして有名なだけでなく、平安末期の天狗のイメージを知るうえでも重要な史料なのですが(前掲参考文献)、私が注目したのは呪いの方法です。藁人形に釘を打ちつけて呪う行為はあまりにも有名ですが、このような方法を「呪釘(のろいくぎ)」と呼ぶそうです。
「呪釘」という呼称の初見は江戸時代のようですが(『精選版 日本国語大辞典』https://kotobank.jp/word/呪釘-2073365)、呪釘が行われた事例はもっと古く、奈良時代にまで遡るようです(浦蓉子「古代の人形(ひとがた)を読み解く」『オンライン公開講演会』奈良文化財研究所 、第126回、https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/article/15321)。
さて、今回の史料ですが、帝を呪詛するのに、なぜ人形ではなく「天公像」が選ばれたのでしょうか。前掲久留島論文によると、「天公」は本来「天の神」「天帝」を指す漢語だそうですが、漢和辞典を調べてみると、もう一つの意味が掲載されていました。それは「天子」、すなわち「天皇」です(『大漢語林』大衆館書店、『普及版 字通』平凡社、https://kotobank.jp/word/天公-336357)。「天公」=「天子」ということであれば、天皇を呪詛するにはこれ以上ない呪具ということになります。誰が帝を呪詛したのか、本当に帝を呪詛するつもりだったのか。真実は闇の中ですが、正確に、かつ効果的に人を呪うためには、呪詛法の知識だけではなく、漢語の知識も必要だったようです。