解題
この寺は現在真言宗広島県教団の大本山である。聖徳太子の草創と伝える古い寺であるが寺の歴史が明らかになるのは、鎌倉末期に奈良西大寺叡尊の弟子定証がこの寺の住職に迎えられ堂塔の再興につとめてからのことである。本堂は正中二年(1325)、火災によって消失したが、尾道の人道蓮・道性が発願し、嘉暦二年(1327)に大工藤原友国・同国貞によって復旧された。多宝塔も元徳元年(1329)、阿弥陀堂も康永四年(1345)の建築であり、境内の石塔類も弘安元年(1278)から貞和四年(1348)にかけて作られている。尾道は太田庄の倉敷地として発展した港町であり、道蓮・道性等も海運に関係した者たちと察せられる。太田庄の預所として富裕であった淵信も、嘉元四年(1306)曼荼羅堂別当職・別所分山地・浜在家などを当寺に寄進している。
この寺は皇室をはじめ足利氏・管領・守護・守護代などと密接な関係を保ち、その信仰を集めるとともに寺領庄園の維持につとめてきたのであって、その文書類はいずれもよく時代推移の典型を物語るものとして極めて貴重である。
当寺は足利尊氏との関係も深く、京都での戦いに敗れた尊氏が九州へ落ちる時と、態勢を立て直して上洛する時に再度立ち寄り本尊十一面観音に祈願をしている。その因縁によって暦応二年(1339)には備後国の利生塔がこの寺に建立された。利生塔料として櫃田村(双三郡君田村)地頭職が貞和元年(1345)にこの寺に寄進されるが、文明十七年(1485)には櫃田村百姓等が武家代官に対する年貢拒否を申し合わせた連署起請文を記しており、このような庶民の動きを示す文書も含まれている。
本文書は鎌倉末期から室町末期までの百二十六通からなり、そのうち定証が当寺を再興した時の嘉元四年の起請文、因島塩年貢の注文、尊氏以下が十一面観音へ奉納した法楽和歌、足利将軍家の寄進状等は早くから重要文化財になっており、その他もほとんどが広島県重要文化財に指定されている。しかし一部はこの度の調査によって新たに見出されたものを加えている。
一 観世音法楽和歌
(足利)
尊氏(花押)
続観世音経偈三十三首和歌
(土岐ヵ)
世尊妙相具 道謙法師
たくひなくたえなるのりのすかたこそうき世をてらすしるへなりけれ
弘誓深如海 左兵衛督源尊氏
わたつ海のふかきちかひのあまねさにたのミをかくるのりのふねかな
侍多千億仏 左兵衛督源尊氏
つかへこしそのゆへにこそいまもかくまことのみちにさハらさりけれ
(願ヵ)
発大清浄観 左兵衛督源尊氏
こゝろたに物によらすハはちす葉のにこりにまけぬたくひなるらし
聞名及見身 藤原高範
名をきくもみるもミのりのともしひをくらきやミちのしるへに
心念不空過 道謙法師
まよふへきのちをおもへはこののりをこゝろにすつる時のまもなし
(土岐ヵ)
能滅諸有苦 源頼貞
われとしるこゝろのなくハ人の身にうれへなけきもあらしとそおもふ
(足利)
火坑変成池 源直義朝臣
さたまれるすかたの物になきゆへにやすくや火おも水となすらん
さハりなき心におこすちかひにや浪に入てもおほれさるらむ
如日虚空住 源頼貞
なか空にゆくとも見へすしつかにてあふけはたかき日のひかりかな
釈然得解脱 左兵衛督源尊氏
わけわふるあしのさハりも今ハなしおきつ舟おは風にまかせて
(著)
還着於本人 左兵衛督源尊氏
よしおもへとかなきわれハなけかれすうらミは人の身にやかへらん
時悉不敢害 桂芳法師
しくれつる雲おは風のふきすてゝのとかに月のかけそさやけき
(身ヵ)
観音妙智力 桂芳法師
そのきはもあらしとそおもふ大悲者の人をはこくむふかき心は
能救世間苦 源直義朝臣
身をすてゝ人をすくハゝ世にすむも仏のみちにかハりやはせん
無刹不現身 左兵衛督源尊氏
いろゝゝの千草の花にしたかひてむすひかへぬる野辺の夕露
真観清浄観 源頼貞
にこるへきなかれもさらになかりけりこゝろの水のすみもまさらは
広大智恵観 道謙法師
月も日もいて入かけはあるものをこゝろのかよふ道そきハなき
常願常瞻仰 源直義朝臣
わするゝとおもひいつるやへたてなき一たひのりにいりしのちより
無垢清浄光 源直義朝臣
さはりなき心の月はなかき夜のやミおもしらてひとりすむなり
恵日破諸闇 道謙法師
雲ハるゝあまつそらよりいつる日のてらしのこせる海山もなし
能伏災風火 源頼貞
もゆる火も草やきすてしそのゝちは春風ふきて又あともなし
普明照世間 藤原高範
おしなへててらさぬさとやなかるらんひかりさやけき秋の夜の月
慈意妙大雲 藤原高範
おのつからいたらぬそらもなかりけり風にしたかふよハのむら雲
澍甘露法雨 源頼貞
一たひもそゝけはよものくさ木まてわか葉さしそふ春雨のころ
衆怨悉退散 源頼貞
もとさらにむまれすしなぬ身としれはいのちのはても惜しまれぬかな
是故須常念 源頼貞
こゝろさし我身にありとしりぬれはわするゝ事ハひと時もなし
念々勿生疑 左兵衛督源尊氏
ちかひをやふかくたのまむうたかはぬこゝろをのりのまことにはして
能為作依怙 源直義朝臣
なにこともかなふちかひをたのむより身にはうれへもわつらひもなし
具一切功徳 桂芳法師
さまゝゝのみのりのすかたおほけれはかそへつくさむことハりもなし
おもくする身をわするれハもろ人をあハれむのミや思日なるらむ
福聚海無量 源頼貞
ひろひおくかすこそしらねい勢のうミのきよきなきさに玉をあつめて
是故応頂礼 桂芳法師
よそに見る色香はあかぬあやにくにおりてそかさす花の一枝
(一三三六)
「解釈」
足利尊氏(花押)
続観世音経の偈文にちなんだ三十三首の和歌
仏陀は美しい姿を備えている 土岐道謙法師
比べるもののない優れた仏法の姿こそが、つらい俗世を照らす導きであるよ。
海のように深く広い観音の誓願は、衆生が頼りにする仏法の船(法船)だなあ。
多くの仏たちに仕える 足利尊氏
武士として仕えてきたからこそ、今もこのように仏法の真髄に触れられていないのだなあ。
大いなる清浄な願いを立てた 足利尊氏
心さえ物欲に駆られないでいることは、蓮の葉が泥の濁りに負けずに美しい花を咲かせるように、俗世で悟りに至ることに匹敵することであるらしい。
観音菩薩の名を聞き姿を見る 藤原高範
観音菩薩の名前を聞くことも、その姿を見ることも、仏法の灯火にして、暗い夜道のような俗世を歩む道標にしよう。
心に思い続けて忘れることがない 道謙法師
迷うにちがいない後世のことを思うと、仏法を心から捨てる暇もない。
あらゆる苦悩を消し去ることができる 土岐頼貞
自分自身を的確に認識する心がなかったなら、人間の身に心配や悲しみはなかっただろうと思う。
地獄の火の穴も変じて清涼な池となる 足利直義
定まった姿のものがないから、簡単に火も水と思うのだろう。
大波でも沈めることはできない 足利直義
曇りのない心で立てる誓いだから、荒波に呑まれても溺れないのだろうか(困難に遭遇しても、誓いを果たすのだろうか)。
太陽のように空中にとどまる 土岐頼貞
空中を移動しているようにも見えない静かな状態の太陽の光を見上げてみると、なんとも高いことだなあ。
晴れやかに解放される 足利尊氏
かき分けて進むことを妨げる葦の障害も今はない。沖に浮かぶ船は風に任せて進んでいる。
他人におこなった行為が逆に自分に戻ってくる
仕方がないと思ってくれ。罪のない私は嘆くこともできない。恨みは本人に戻ってくるものだ。
観音の力にすがったときには危害を加えられることはない
桂芳法師
時雨を降らせる雲を風が吹き払ってのどかになり、月の光が明るくてすがすがしい。
観音菩薩が人間を労る深い心には、限界はないだろうと思う。
世間の苦しみを救うことができる 足利直義
身を捨てて人を救うなら、俗世に暮らしていたとしても、仏道を歩んでいることに変わりはない。
すべての国に姿を現す 足利尊氏
さまざまな多くの草花によって、つくり直された野原の夕露
真理を見抜く目と清らかな心の目 土岐頼貞
心の水がいっそう澄みわたると、濁るはずの流れもまったくなくなるのだなあ。
広大な智慧の目 道謙法師
月も太陽も昇り、没し、欠けるものであるけれど、気持ちの通じ合う道には限界がない。
常に願い常に敬う 足利直義
一度、仏道に入ってからは、忘れることと思い出すことに区別はないだろう。
汚れのない清らかな光 足利直義
仏道の妨げになるもののない心の中の月は、長い夜の闇を知らないで、ひとり澄んでいるようだ。
太陽のような智慧をもつ観音は迷いの闇を打ち破る
道謙法師
雲がなくなり天空から現れた太陽に、照らしきれない海や山はない。
災の風火を鎮めることができる 土岐頼貞
燃える火が草を焼き捨てたそのあとは、春風が吹いてさらに跡も残らない。
広くすみずみまで世間を明るく照らす 藤原高範
一様に照らさない里はないだろう。光の明るくてすがすがしい、秋の夜の月。
慈しみの心は大きくてすばらしい雲のようだ
藤原高範
自然と移り変わらない空はない。風に従って流れる夜中の群雲。
甘露のような仏の教えを注ぐ 土岐頼貞
一度でも雨が降り注ぐと、四方の草木まで若葉が芽吹く春雨のころだなあ。
さまざまな怨念はことごとくなくなる 土岐頼貞
もともと、生まれもせず死ぬこともない身だとわかれば、命が尽きることも惜しいと思わないのだなあ。
だから常に観音を念ずる 土岐頼貞
自分に熱い信仰心があるとわかれば、忘れることはひと時もない。
わずかな時間も疑ってはならない 足利尊氏
疑いのない心を仏法の真理に向けて、観音の誓願を深く頼りにしよう。
大きな拠り所となる 足利直義
どんなことでも思い通りになるという観音の誓願を頼りにしたから、我が身には心配も苦悩もない。
観音には一切の功徳が備わっている 桂芳法師
観音のご利益にはさまざまな実りの姿が多いので、数え尽くすことのできる道理もない。
普段は、死者を重んじる我が身を忘れるから、忌日には、すべての人を慈しんでばかりになるのだろうか。
観音の功徳と慈悲は海のように際限がない
土岐頼貞
伊勢の海の清らかな渚で、拾い集めた宝玉の数はわからないなあ。
このような理由で礼拝しなければならない
桂芳法師
離れた場所で見る桜の色や香りはもの足りないなあ。だから、予想に反して庭に降り、花の付いた一枝を愛でられるようにかざしたことよ。
建武三年(1336)五月五日、備後国浄土寺でこれらを詠んだ。観音菩薩を楽しませ申し上げるのである。
*解釈はよくわかりませんでした。