五 光久外四名連署饗料等請取状
(端裏)
「[ ]寺元佐[ ]」
兵部省十二人
饗料 腰差 酒肴一具事
右任二先例一所二請取一如レ件、
(1326)
嘉暦元年
光久(花押) 末俊(花押)
貞久(花押) 元貞(花押)
爲國(花押)
「書き下し文」
兵部省十二人
饗料 腰差 酒肴一具事
右先例に任せ請け取る所件のごとし、
「解釈」
兵部省十二人分の饗料・腰差・酒肴一式のこと。
右、先例どおりに以上のものを受け取りました。
「注釈」
「饗料」─饗膳(もてなし)の費用か。
「腰差」─矢立、あるいは脇刀か。
「酒肴一具」─もてなしの品一式か。
*兵部省の役人の給分のようなものを、久嶋郷の刀禰らが納めたことに対する領収書の
ようなものだと思います。花押を据えている五名は、兵部省の役人か、給分の収支を
取り扱う機関(官方・弁官局)の役人になるのでしょうか。
*以下、九号文書まで、同年付で同じような文書が続きます。
*同様の文書は、山口県の「安尾家文書」
http://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/bunkazai/detail.asp?mid=90044&pid=gs_tu1、
鹿児島県の「比志島氏文書」
にもあるようです。
*池享「中世後期における「百姓的」剰余取得権の成立と展開 」『大名領国制の研究』
(校倉書房、一九九五、https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/18661)
に、この文書に関する言及があり、久嶋郷の本所は京都の皇室関係であったと推測さ
れています。