四 小早川仲義充行状
(端裏書)
「竹原殿仲義 御判」
充行
(院)
梨子羽郷南方内王子員主職事
右、蟇沼寺之為二末寺一之条、代々無二相違一之処、聊転変刻彼員主職雖レ被レ改、
如レ元本寺へ所レ被二返付一也、於二員主職一者、沼部僧令二領知一、有レ限寺役等、
任二先例一可二勤仕一之状如レ件、
(1385)
至徳二年五月 日 平仲義(花押)
「書き下し文」
充て行ふ
梨子羽郷南方の内王子院主職の事
右、蟇沼寺の末寺たるの条、代々相違無きの処、聊か転変の刻み彼の院主職改めらると雖も、元のごとく本寺へ返付せらるる所なり、院主職に於いては、沼部僧領知せしめ、限り有る寺役等、先例に任せ勤仕すべきの状件のごとし、
「解釈」
蟇沼寺に給与する、梨子羽郷南方のうち王子院主職のこと。
右、王子が蟇沼寺の末寺であることは、代々間違いないことである。だが、少しばかり騒動があったとき、この院主職は改められたのだが、元のように本寺蟇沼寺に返し渡すものである。院主職については、沼部僧が領知し、重要な寺役等を、先例のとおりに勤仕しなければならない。
「中略」
「王子」
─未詳。蟇沼寺の末寺として、梨子羽郷南方内に「熊野若一王子」を祀った宗教施設があったのかもしれません。ここにも熊野信仰が伝播していたと考えられます。
「沼部僧」─未詳。