四 梨子羽郷預所下文写
コヽニカキハンアリ
下 梨子羽郷内弁海名主職三分二事
定補 源信賢
右以二彼人一、所三補二任件職一也、可レ令二重代相伝一、仍御公事以下、任二先例一
可レ致二其沙汰一、地下宜承知敢勿二違失一、故以下、
(1333)
元弘三年十二月廿五日
「書き下し文」
此処に書判有り
下す 梨子羽郷内弁海名主職三分の二の事
定め補す 源信賢
右彼の人を以て、件の職に補任する所なり、重代相伝せしむべし、仍て御公事以下、先例に任せ其の沙汰致すべし、地下宜しく承知し敢へて違失すること勿かれ、ことさらに以て下す、
「解釈」
梨子羽郷内弁海名名主職三分の二のことを下達する。
源信賢を補任する。
右、この源信賢を名主職三分の二に任命するところである。代々相伝せよ。よって、御公事など、先例のとおりに納めなければならない。梨子羽郷の住人らは必ずこの命令を承知し、けっして背いてはならない。格別に下達する。
「注釈」
*3号文書と4号文書は同年・同内容の文書ですが、前者が北朝年号を、後者は南朝年号を用いています。同年5月に北朝を擁立した鎌倉幕府が滅亡しているので、源信賢は改めて預所に依頼し、南朝年号の下文を作成してもらったと考えられます。