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史料紹介という修行

仏通寺住持記 その8

 「仏通寺住持記」 その8

 

 (1418)

 廿五戊戌 元哉和尚 六月六日、於小峠之東万能先達従大

           峯帰路頓逝、依同志行者頼当住下火、

           墓于同処河浜

 廿六己亥 覚隠和尚住 見于禅堂文殊像之後 有応永廿

            六己亥六月一日開堂奉尊像

            住持真知奉造

 廿七庚子 七月十九日、普賢・文殊二大士安座

 廿八辛丑 秋宗綱和尚住 見于彼記

*廿九壬寅 諾渓和尚住 見于含暉棟札不動堂詩等

      (頭注)

      「上棟応永廿九年七月八日、住持比丘清唯、檀主

       慈徳道益、大工藤氏氏吉、小工同氏守立之云々」

 

 「書き下し文」

 二十五戊戌、元哉和尚、六月六日、小峠の東に於いて万能の先達大峯よりの帰路頓逝す、依て同志の行者当住を頼り下火す、同処の河浜を墓とす、

 二十六己亥、覚隠和尚住す、禅堂文殊像の後に見ゆ。応永二十六己亥六月一日開堂し尊像を安じ奉る住持真知奉造すと有り、

 二十七庚子、七月十九日、普賢・文殊二大士安座す、

 二十八辛丑、秋宗綱和尚住す、彼記に見ゆ、

*二十九壬寅、諾渓和尚住す、含暉の棟札・不動堂詩等に見ゆ、

 (頭注)

 「上棟応永廿九年七月八日、住持比丘清唯、檀主慈徳道益、大工藤氏氏吉、小工同氏守之を立つと云々」

 

 「解釈」

 二十五年(1418)戊戌。元哉和尚が住持に就任した。六月六日、小峠の東で何事にもすぐれた先達が大峯からの帰路で急死した。そこで仲間の行者が住持元哉和尚を頼り火葬した。同所の川のほとりを墓とした。

 二十六年己亥。覚隠真知和尚が住持に就任した。禅堂文殊像の後に書いてある。応永二十六年己亥六月一日に開堂し、住持である真知和尚がお造りした尊像を安置し申し上げることがあった。

 二十七年庚子。七月十九日、普賢・文殊の二菩薩を安置した。

 二十八年辛丑。秋に宗綱和尚が住持に就任した。宗綱の記録に見える。

*二十九年壬寅。諾渓和尚が住持に就任した。含暉院の棟札や不動堂詩等に見える。

 (頭注)

 「上棟は応永廿九年七月八日に行なわれた。住持比丘諾渓清唯、檀主慈徳道益、大工藤氏氏吉、小工同氏守が仏殿(ヵ)を建立したという。」

 

  つづく