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仏通寺住持記 その56

 「仏通寺住持記」 その56

 

 (1604)

 九 甲辰 大慈派  慶長九年甲辰八月廿二日仏通寺

           捴校割仮帳、大慈派之時改焉

      福翁全智禅師  侍真 全鶴  納所 慶全

                 〈維那」肯派〉寿慶

 十 乙巳 肯心派

      悦堂祥淳禅師  〈侍真」正覚派〉慶全 納所 林甫

                   〈維那」正覚派〉宗徳

 十一丙午 慈雲派

 秀忠公任征  暉雲周噋禅師  〈侍真」大慈派〉全智 〈納所」肯派〉徳岩

 夷大将軍

 前将軍築江                   〈維那」永派〉永泉

 戸城

 十二丁未 肯心派

      悦堂祥淳禅師  〈侍真」長派〉周噋  納所 林甫

                        維那 周龍

 

      今年八月、大通二百年忌

 十三戊申 長松派   大通禅師二百年忌相丁ル

      勝運周養禅師  〈侍真」肯派〉祥淳  納所(ママ)

                    羽倉之東光寺 又ハ祖順

                    〈維那」肯派〉令順

 

 「書き下し文」

 九甲辰、大慈派、慶長九年甲辰八月二十二日仏通寺総校割仮帳、大慈派の時焉を改む、

      福翁全智禅師、侍真全鶴、納所慶全、維那肯派寿慶、

 十乙巳、肯心派、悦堂祥淳禅師、侍真正覚派慶全、納所林甫、維那正覚派宗徳、

 十一丙午、慈雲派、

 秀忠公征夷大将軍に任ぜらる、前将軍江戸城を築く、

      暉雲周噋禅師、侍真大慈派全智、納所肯派徳岩維那永派永泉、

 十二丁未、肯心派、

      悦堂祥淳禅師、侍真長派周噋、納所林甫、維那周龍、

 

      今年八月、大通二百年忌

 十三戊申、長松派、大通禅師二百年忌相丁る、

      勝運周養禅師、侍真肯派祥淳、納所(ママ・記載なし)

      羽倉の東光寺、又は祖順、維那肯派令順、

 

 「解釈」

 慶長九年甲辰(1604)、大慈派が番衆を勤める。慶長九年甲辰八月二十二日仏通寺のすべての寺物の仮目録を、大慈派の時に書き改めた。

      福翁全智禅師が住持を勤める。侍真は全鶴。納所は慶全。維那は肯心派の寿慶。

 十年乙巳、肯心派が番衆を勤める。悦堂祥淳禅師が住持を勤める。侍真は正覚派の慶全。納所は林甫。維那は正覚派の宗徳。

 十一年丙午、慈雲派が番衆を勤める。

 徳川秀忠公が征夷大将軍に任じられる。前将軍徳川家康江戸城を築いた。

      暉雲周噋禅師が住持を勤める。侍真は大慈派の全智。納所は肯心派の徳岩。維那は永徳派の永泉。

 十二丁未、肯心派が番衆を勤める。

      悦堂祥淳禅師が住持を勤める。侍真は長松派の周噋。納所は林甫。維那は周龍。

 

      今年(慶長十三・1608)八月は大通禅師愚中周及の二百年忌。

 十三年戊申、長松派が番衆を勤める。大通禅師の二百年忌に当たる。

      勝運周養禅師が住持を勤める。侍真は肯心派の祥淳。納所(僧名の記載なし)。

      維那は肯心派の令順、あるいは羽倉東光寺の祖順。

 

 「注釈」

「羽倉」

 ─三原市久井町羽倉。東光寺はここにあったか。安芸国豊田郡小林村・中野村の東に隣接する備後国御調郡西端の大村。丘陵性の山地が多くの谷を形成し、村の東部を沼田川の支流仏通寺川が流れる。村の中央部に北東からから南西方向に低地がみられ、南部の沖谷にも低地が広がる。村を縦貫する道は三次から三次藩の海港忠海(現竹原市)に通じる三次往還で、村の中ほどの丘陵南面に南北に在郷町が発達した。集落は主として丘陵南麓に立地。南部の字備後牛に高岡古墳があり、西部の字荒瀬谷から窯跡が発見されている。

 中世には杭庄に属し、慶長三年(1598)八月一五日の備後国御調郡杭稲荷社御祭御頭注文(山科文書)にみえる了家(領家)文の名に村内の地名がみえる。村山家檀那帳(山口県文書館蔵)の天正九年(1581)分の羽倉の項に、中野村神笠城に拠ったと考えられる「大すミ石見守」(元村)、中野村観音寺か当村安応寺のいずれかと考えられる感応寺、和草村にかかわりのある野上長門守(常高)・木工助(景賀)、当村の末近丹後守(泰放)・大和・甚衛門尉などの名がみえ、中世末期には当村と和草村・中野村などは同一郷とされていたことになる。(中略)

 「芸藩通志」によると、畝高は元禄一〇年と同じで、戸数二一〇・人口九五一、牛一四四・馬四九。烏帽子岩池・岩村上池・奈良木池など池一三カ所、慶長一二年に梶田某が勧請したという貞清の八幡宮(一説に羽倉城主末近四郎三郎が原谷より遷祀)、矢矧神社(明治二二年八幡神社に合併)、蓮光寺跡・真浄庵跡(末近氏菩提寺)などがあり、また植野村(現御調町)より移った末近四郎三郎が拠ったという古塁があることを記す。文化七年前記諸品帖に、茶七千三四一株・柿九二本・梨七六本などを記す(「羽倉村」『広島県の地名』平凡社)。

 

 

 つづく