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仏通寺住持記 その35

 「仏通寺住持記」 その35

 

 (1532)

 天文壬辰 祥雲派

      覚翁善等禅師〈嗣久叟」妙高庵〉 侍真 恵菊 納所 自法

      〈向上〉」伝谷〉祖音   〈観白」再〉周泰 維那 全桑

 二 癸巳 長松派

                   侍真

      玉田恵玖禅師〈丹後」正福寺〉 亀谷周鑒 納所 自法

      向上 宗玄         観白 周沢 維那 恵駿

 三 甲午 永徳派

      香岳智徳禅師 〈侍真」大慈派〉全賀  納所 慶讃

      向上 見外智参  (記)「観白恵篤」 〈維那」長松派〉珪序

                (記)「梨子羽康平」

 四 乙未 正覚派   六月廿六日、康平没落

      晟月等懌禅師〈幡州」雲門庵(記・院)〉 〈侍真」長派〉珪序 納所 見忠

      〈向上」肯派〉金渓恵菊 (記)「観白文永」 〈維那」長松派〉智善

 五 丙申 大慈派  〈住持」請待〉

      伝之自法禅師肯心派 〈侍真」正覚派〉文永 〈納所」長派〉珪序

           (記)「全易」

      〈向上」大慈派〉東暉易禅師       〈維那」祥雲派〉宗全

 

 「書き下し文」

 天文壬辰、祥雲派、

      覚翁善等禅師、久叟を嗣ぐ、妙高庵、侍真恵菊、納所自法、向上伝谷祖音、観白再び周泰、維那全桑、

 二癸巳、長松派、

     玉田恵玖禅師、丹後正福寺、侍真亀谷周鑒、納所自法、向上宗玄、観白周沢、維那恵駿、

 三甲午、永徳派、

     香岳智徳禅師、侍真大慈派全賀、納所慶讃、向上見外智参、(記)「観白恵篤」、維那長松派珪序、

 四乙未、正覚派、六月二十六日、(記)「梨子羽康平」没落、

     晟月等懌禅師、幡州」雲門庵(記・院)、侍真長派珪序、納所見忠、向上肯派金渓恵菊、(記)「観白文永」、維那長松派智善

 五丙申、大慈派、住持請待、

     伝之自法禅師、肯心派、侍真正覚派文永、納所長派珪序、向上大慈派東暉(記)「全易」禅師、維那祥雲派宗全、

 

 「解釈」

 天文元年壬辰(1532)、祥雲派が番衆を勤める。

     久叟寿椿を継いだ妙高庵の覚翁善等禅師が住持を勤める。侍真は恵菊。納所は自法。向上寺住持は伝谷祖音が勤める。観白(方丈)は再び周泰が勤める。維那は全桑。

 二年癸巳、長松派が番衆を勤める。

     丹後正福寺の玉田恵玖禅師が住持を勤める。侍真は亀谷周鑒。納所は自法。向上寺住持は宗玄が勤める。観白(方丈)は周沢。維那は恵駿。

 三年甲午、永徳派が番衆を勤める。

     香岳智徳禅師が住持を勤める。侍真は大慈派の全賀。納所は慶讃。向上寺住持は見外智参が勤める。(記)「観白(方丈)は恵篤」。維那は長松派の珪序。

 四年乙未、正覚派が番衆を勤める。六月二十六日、(記)「梨子羽康平」が没落した

     播磨国雲門院の晟月等懌禅師が住持を勤める。侍真は長松派の珪序。納所は見忠。向上寺住持は肯心派の金渓恵菊。(記)「観白(方丈)は文永」。維那は長松派智善。

 五年丙申、大慈派が番衆を勤める。住持はわざわざ招いた。

     肯心派の伝之自法禅師が住持を勤める。侍真は正覚派の文永。納所は長派珪序。向上寺住持は大慈派の東暉全易禅師が勤める。維那は祥雲派宗全。

 

 「注釈」

妙高庵」─未詳。

 

「丹後正福寺」

 ─京都府京丹後市久美浜町市野々にある臨済宗南禅寺派寺院のことか。

 

「幡州雲門庵(院)」

 ─現兵庫県多可郡多可町加美区清水の雲門寺。雲門寺は「愚中和尚語録」の応永八年(1401)の項に見えるので、それ以前の建立であり、同年に周及愚中(大通禅師)が塔頭徳庵を建立している。文明十八年(1486)大明寺(現生野町)の開山百年忌のための徒弟諸派奉行中蒿庵派の雲門寺が見え点心を負担している(同年六月二十六日「大明開山百年忌交名」大同寺文書)。最初は西方の山にあったが二度移転し、現在地に再建された。同寺内に清水寺子屋が設けられた(多可郡誌)。付近の水田からは室町期の梵鐘鋳造跡が発掘されている(「清水村」『兵庫県の地名Ⅱ』平凡社)。

 

 つづく