「仏通寺住持記」 その16
(1449)
宝徳己巳 七月廿八日改
二 庚午 秋的当住 丹後右谷荘厳寺
建国寺派 庵堂上葺棟札有之
三 辛未 千畝住 正月十七日二分親平 〈長松派」典座〉慈延
(記ナシ)
射レ的 「智厳」
七月廿五日改
(1452) (記)「三住」 (記)「徳林」
享徳壬申 一咲再住 含暉庫裡立 納所智厳
(記ナシ)
二 癸酉 至心住 此年涅槃堂造営 納所「徳林」
三 甲戌 三月初五日永徳方丈上棟、但 〈納所」肯心派〉祥澤
方丈庫司移換之年也
(1455)
康正乙亥 七月廿五日改 八月廿六日一咲甲州江下向
二 丙子 〈自秋」向上〉別伝 納所妙秀
(記)「九月廿八日改」
(1457) 方丈
長禄丁丑 元哉住 今喜悦堂立、八月十五日開堂 納所周忍
二 戊寅 至心住 閏正月十五日千畝和尚示寂満八十
今之倉立、但三年也 〈納所」大慈派〉 善的
三 己卯 至心住 〈納所」建国派〉 元柔
「書き下し文」
宝徳己巳、七月二十八日改む、
二庚午、秋に的当住す、丹後右谷荘厳寺、
三辛未、千畝住す、正月十七日二分親平「智厳」、的を射る、建国寺派庵堂上葺す、棟札之有り、長松派典座慈延、
享徳壬申、七月二十五日改む、一咲再住す(記)「三住す」、含暉庫裡立つ、納所智厳(記)「徳林」
二癸酉、至心住す、此の年涅槃堂造営す、納所徳林
三甲戌、三月初五日永徳方丈上棟、但し、納所肯心派祥澤、方丈と庫司とを移し換ふるの年なり、
康正乙亥、七月二十五日改む、八月二十六日一咲甲州へ下向す、
二丙子、秋より向上、別伝、納所妙秀
長禄丁丑、(記)九月二十八日改む、元哉住す、今方丈喜悦堂立つ、八月十五日開堂、納所周忍
二戊寅、至心住す、閏正月十五日千畝和尚示寂、満八十、
今の倉立つ、但し三年なり、納所大慈派善的、
三己卯、至心住す、納所建国派元柔、
「解釈」
宝徳元年(1449)己巳。七月二十八日改元。
二年庚午。秋に的当が住持を勤める。丹後国右谷荘厳寺の開山。
三年辛未。千畝が住持を勤める。正月十七日智厳が奉射で的を射た。建国寺派が尼寺の上葺を行なった。棟札に書いてある。典座は長松派慈延。
享徳元(1452)年壬申。七月二十五日改元。一笑禅慶が三度目の住持を勤める。含暉院の庫裡が建立された。納所徳林。
二年癸酉。至心が住持を勤める。この年涅槃堂を造営した。納所徳林。
三年甲戌。三月五日、永徳院の方丈の上棟が行なわれた。ただし、納所肯心派祥澤が方丈と庫司とを移し替えた年である。
康正元年(1455)乙亥。七月二十五日改元。八月二十六日に一笑禅慶甲斐国円福寺へ下向した。
二年丙子。秋より向上寺住持を別伝が勤める。納所妙秀。
長禄元年(1457)丁丑。九月二十八日改元。元哉符契が住持を勤める。今の方丈である喜悦堂が建立された。八月十五日開堂。納所周忍。
二年戊寅。至心が住持を勤める。閏正月十五日、千畝和尚が亡くなった。満八十歳。今の倉が建立された。ただし完成したのは長禄三年(1459)である。納所大慈派善的。
三年己卯。至心が住持を勤める。納所建国派元柔。
「注釈」
「二分親平」─未詳。「智厳」を意味しているか。
「別伝」─未詳。人名か。
つづく