「仏通寺住持記」 その23
(1487) (廿日)
長享丁未 両足派 七月廿五日改 正法方丈造立
叔源三住 侍真 祖財 納所 善牧
〈向上」得月派〉隆侍者 維那 厚遵
戊申正月廿三日馨室闍維、下炬者振宗東堂、収骨叔源、点渇者達西堂、
点茶者順首座、念誦者寿倫、挙維者才蔵司
伝心再住 侍真 会文 〈納所」再〉 継雲
向上 塔主
太年広遠 慈継書記 〈観白」梁山〉智棟 維那 智玄
(八月廿一日)
(1489) 三月廿六日改
延徳己酉 慈雲派 〈楼鐘改鋳レ之」六月十八日〉
仙英徳種禅師〈元哉嗣」有牌〉 侍真 周永 維那 周誾
向上 蔵中 (記)「納所徳英」
(記)「肯心派」
祥雲派
二 庚戌 徳雲通満禅師嗣覚隠 侍真 祥藺 納所 通長
向上 月渓祥泉 観白 善喜 維那 智成
三 辛亥 長松派 正月十九日夜風呂炎上
寿峰慈延禅師嗣千畝 〈侍真」悦山〉寿椿 納所 智薫
向上 春叟中栄 塔主 幡侍者 維那 祥超
「書き下し文」
長享丁未、両足派、七月二十日改む、正法方丈造立す、叔源三住、侍真祖財、納所善牧、
向上得月派隆侍者、維那厚遵、
戊申の正月二十三日馨室闍維、下炬は振宗東堂、収骨は叔源、点渇は達西堂、点茶は順首座、念誦は寿倫、挙維は才蔵司、
二戊申、大慈派、大慈寺仏殿供養四月十三日、伝心再住、侍真会文、納所再継雲、
向上太年広遠、塔主慈継書記、観白梁山智棟、維那智玄、
延徳己酉、慈雲派、八月二十一日改む、楼鐘改めて之を鋳る、六月十八日、仙英徳種禅師、元哉を嗣ぐ、牌有り、侍真周永、維那周誾、
向上蔵中、納所徳英、
二庚戌、肯心派、徳雲通満禅師、覚隠嗣ぐ、侍真祥藺、納所通長、
向上月渓祥泉、観白善喜、維那智成、
三辛亥、長松派、正月十九日夜風呂炎上
寿峰慈延禅師、千畝を嗣ぐ、侍真悦山寿椿、納所智薫、
向上春叟中栄、塔主幡侍者、維那祥超、
「解釈」
長享元年丁未(1487)、両足派が番衆を勤める。七月二十日改元。正法庵の方丈を造立した。叔源永本が三度目の住持を勤める。侍真は祖財。納所は善牧。向上寺住持は得月派の隆侍者が勤める。維那は厚遵。
戊申(長享二年・1488)正月二十三日に馨室を火葬した。下炬役は振宗東堂。収骨役は叔源永本。点渇役は達西堂。点茶役は順首座。念誦役は寿倫。挙維役は才蔵司。
二年戊申、大慈派が番衆を勤める。四月十三日に大慈寺の仏殿供養を行なった。伝心善的が二度目の住持を勤める。侍真は会文。納所は再び継雲が勤める。
向上寺住持は太年広遠が勤める。塔主は慈継書記。観白(方丈)は梁山智棟。維那は智玄。
延徳元年己酉(1489)、慈雲派が番衆を勤める。八月二十一日改元。六月十八日に梵鐘を鋳造しなおした。元哉符契を継いだ仙英徳種禅師が住持を勤める。位牌がある。侍真は周永。維那は周誾。
向上寺住持は蔵中が勤める。納所は徳英。
二年庚戌、肯心派が番衆を勤める。覚隠真知を継いだ徳雲通満禅師が住持を勤める。侍真は祥藺。納所は通長。向上寺住持は月渓祥泉が勤める。観白(方丈)は善喜。維那は智成。
三年辛亥、長松派が番衆を勤める。正月十九日の夜に風呂が炎上した。千畝周竹を継いだ寿峰慈延禅師が住持を勤める。侍真は悦山寿椿。納所は智薫。向上寺住持は春叟中栄が勤める。塔主は幡侍者。維那は祥超。
「注釈」
「馨室」
─未詳。文明9年(1477)に仏通寺住持を勤めた「虚室通白」のことか。『仏通寺住持記』その20を参照。
「点渇」─未詳。
「挙維」─未詳。
つづく