「仏通寺住持記」 その21
(1478)
十 戊戌 常喜派
侍真
金龍開基 桂岩周昌〈千畝嗣」重玄二世〉 周機蔵主 納所 元種
大用
向上 明堂永賢 維那 智昌
本源七年忌就二于当寺一営レ之、頓写施食宿忌之行
(記)「焼香拈香者三嶋綱」
道者当住桂岩、拈香者振宗、東堂宿忌後入寺
「 文明十戊戌年長松派之時再興、住持桂岩周昌、
(ママ)
本願比丘地持開基永賢并侍真周機、檀那(ママ)
并実仙妙一禅尼 」
十一己亥 永徳派
来源智本禅師〈嗣一咲」善逝二世〉 侍真 智能 納所 智詮
〈向上」再住〉聖普 維那 聖継
十二庚子 正覚派
月舟智般禅師 蘭翁嗣 侍真 祖財 維那 善牧
向上(ママ) 納所 善立
十三辛丑 大慈派 十二月十九日真田頼澄逝去、
法諱道従、職者移二真田越前守一
安田妙雲院開基也
宗綱嗣 竺叟慈雲禅師 正月廿一日入 侍真(ママ) 納所 継雲
滅同有牌
同 香林智縁禅師 吉舎正法庵開山
向上伝心 塔主月海宗印 観白広遠 維那 慈徳
「書き下し文」
十戊戌、常喜派、金龍開基桂岩周昌、千畝を嗣ぐ、重玄二世、侍真大用周機蔵主、納所元種、向上明堂永賢、維那智昌、
本源七年忌当寺に就きて之を営む、頓写・施食・宿忌の行道は当住桂岩、焼香拈香は三嶋綱、東堂宿忌の後入寺、
「文明十戊戌年長松派の時再興、住持桂岩周昌、本願比丘持地開基永賢并びに侍真周機、檀那(ママ・記載なし)、并びに実仙妙一禅尼、」
十一己亥、永徳派、来源智本禅師、一咲を嗣ぐ、善逝二世、侍真 智能、納所智詮、向上再住聖普、維那聖継、
十二庚子、正覚派、月舟智般禅師、蘭翁を嗣ぐ、侍真祖財、維那善牧、向上(ママ・記載なし)、納所善立、
十三辛丑、大慈派、十二月十九日真田頼澄逝去、法諱道従、職は真田越前守に移る、
宗綱を嗣ぐ、竺叟慈雲禅師、安田妙雲院開基なり、正月二十一日入滅、同牌有り、侍真(ママ・記載なし)、納所継雲、
同、香林智縁禅師、吉舎正法庵開山、向上伝心、塔主月海宗印、観白広遠、維那慈徳、
「解釈」
十年戊戌(1478)、常喜派が番衆を勤める。千畝を継いだ金龍寺(カ)開基桂岩周昌が住持を勤める。重玄寺二世。侍真は大用周機蔵主。納所は元種。向上寺住持は明堂永賢。維那は智昌。
本源小早川煕平の七年忌は当寺で営んだ。頓写・施食・宿忌の行道は当住桂岩が執り行った。焼香拈香は三嶋綱。桂岩は、前住(虚室通白ヵ)の葬儀前夜の仏事が終わった後に入寺した。
「文明十戊戌年、長松派が番衆の時に、仏通寺を再興した。住持は桂岩周昌。本願比丘持地庵開基永賢。ならびに侍真は周機。檀那(僧名の記載なし)。ならびに実仙妙一禅尼。
十一年己亥、永徳派が番衆を勤める。一笑を継いだ来源智本禅師が住持を勤める。善逝二世。侍真は智能。納所は智詮。聖普が再び向上寺住持を勤める。維那は聖継。
十二年庚子、正覚派が番衆を勤める。蘭翁を継いだ月舟智般禅師が住持を勤める。侍真は祖財。維那は善牧。向上寺住持(僧名の記載なし)。納所は善立。
十三年辛丑、大慈派が番衆を勤める。十二月十九日真田頼澄が亡くなった。法諱は道従。政所職は真田越前守に移った。
宗綱を継いだ竺叟慈雲禅師が住持と勤める。安田妙雲院の開基である。正月二十一日に亡くなった。当寺に位牌がある。侍真(僧名の記載なし)。納所は継雲。
同じく宗綱を継いだ香林智縁禅師が住持を勤める。吉舎正法庵の開山である。向上寺住持は伝心。塔主は月海宗印。観白(方丈)は広遠。維那は慈徳。
「注釈」
「地持」─持地庵のこと。
「安田妙雲院」─未詳。広島県三次市吉舎町安田にあった寺院か。
「金龍」─未詳。
「三嶋綱」─未詳。
つづく