周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

とある解答例

年未詳 岡大

 私は看護師として、病気で苦しんでいる人のケアはもちろん、病気の予防や人々の健康増進にも寄与したいと考えている。

 現代の日本では、病気の予防に対する意識は、まだまだ低い。病気になってはじめて、病気の恐ろしさを知り、医者に掛かることになるのだ。病的死亡原因の多くを占める生活習慣病は、まさに患者の生活習慣に原因を発することが多く、そのうえ完治するのが難しい。したがって、病気の完治や予防のためには、生活習慣の改善が必要であり、正確な情報を伝えつつ、健康増進に対する意識を向上させなければならない。

 このような状況は、日本に限ったことではない。医療環境の整っていない発展途上国では、さらに状況が悪い。私は、一時期流行した「エボラ出血熱」のニュースを見て驚いた。それは、流行している国の人々の病気に対する認知度の低さである。これが病気の広まった原因の一つではないだろうか。

 看護師は、ただ患者の介護や治療を行うだけでなく、健康増進のために、多くの人々へ正確な情報を伝え、病気に対する意識を高めていかなくてはならない。私は、国内に限らず海外でも、そのような活動をしたいと考えている。そのためには、看護の専門知識を身につけるだけではなく、学生時代に啓蒙活動や海外研修にも参加して、実践的な経験を積んでいきたいと考えている。

(552字)

 

年未詳 岡大

 私は生殖医療や遺伝子解析技術のさらなる進展を望んでいるが、望みどおりの子どもを作るために、それらを利用することは避けるべきだと考えている。

 より安全で精度の高い生殖医療技術が確立できれば、不妊症などの理由によってなかなか子どもが授からない夫婦には、福音となるだろう。しかし、自然に子どもを授かることができるのに、望みどおりの子どもを作ろうとするのは、少々行き過ぎた感じがする。

 課題文にもあるように、現在の遺伝子解析技術で判断できるのは、容姿や身体的能力、病気のリスクといったわずか250項目に過ぎない。技術の発達によって、この項目が増えたとしても、意味はない。なぜなら、こうした項目に対する評価は、現在の価値観による判断でしかないからだ。仮に、望みどおりの子どもを作ることが容認され、それが普及したとしよう。人類は似たような遺伝構造を持つものが主流となり、人類の多様性は失われてしまう。生物多様性を叫ぶ一方で、人類の画一性を主張するというのは、どうも矛盾しているように思われる。画一化した社会は、変化に弱い。多様であるからこそ、社会や環境の変化にも対応できるのだ。

 次の事例は、遺伝子を考えるうえで興味深い。人間の遺伝子には、太古に感染したレトロウイルスの遺伝情報が組み込まれている。これが哺乳類に胎盤をもたらしたそうだ。レトロウイルス感染時に、多くの哺乳類は死滅した。しかし、生き残った哺乳類はそれを組み込み、進化したのである。その時代、死滅した遺伝子は無能で、進化した遺伝子は有能だったのだろうか。その価値判断は、どの時点でなされるべきなのだろうか。

 自然や社会は変化するものだ。人間はそれに対応しながら、生命をつないでいくことになる。遺伝子の選別や画一化は、そうした生命のたくましさを奪ってしまうことになるのではないか、という点を強く危惧している。

(772字)

 

 

H21(2009) 岡大看護 問題2

設問1

恐竜の生存時期は正確にわからないため、1万年単位という概数で表されることがほとんどである。この話に出てくる館員は、自分が就職したときに、恐竜の骨のおおよその年代を6000万年前と聞いていた。それから3年後に、一人の男がその骨の年代を尋ねたため、6000万3年前と答えたのだ。1年単位という小さな桁を提示することにほとんど意味はないのに、1万年という大きな桁と混同して伝えたところに、この話のおかしさがある。

(197字)

 

(別解)

この話に登場する館員は、概数の意味を理解せず、1年単位の正確な数字を加えて説明している。恐竜の生息時期は正確に測定できないため、通常は6000万年のように、1万年単位の大きな桁の概数で説明する。それよりも桁の小さな数字は使用してもあまり意味がない。しかし、この館員は、6000万年に自分の勤務していた3年を加えたのだ。大きな桁数と小さな桁数のスケールの違いを混同したところに、この小話のおかしさの理由がある。

(198字)

 

 

2010年 岡山大 前期 問題1

 

 設問1

斜めの関係とは、日常的に付き合うことはなく、必要とするときだけ選べ、過剰に心配したり関心を寄せたりせず、好きなときに関係を断てる間柄のことである。家族や担任などとの関係のように、正面から向き合った窮屈で濃すぎる関係とは異なるため、それらがもたらす熱心さ、心遣い、責任感、指図のようなものを感じることはない。干渉的ではない、個性的過ぎない、近すぎないといった、薄くてちょうどよい関係性を表している。

(198字)

 

 

2011年 岡山大 前期 問題1

 設問1

・自己否定が強いから。

・肉体が気になるから。

・力で管理されるから。

・人間関係に悩むから。

 

2012年 岡山大 前期 問題1

 設問1

六年間の担任はみな違う先生なのに、著者に対する評価は申し合わせたように全く同じ内容だった。「落ち着きがない」「キョロキョロする」「他人にちょっかいを出す」「幼児語が抜けない」という四項目は、著者の性格の欠点を見事に言い当てており、前年度の記述をそのまま反復したように同じ言葉が綴れられていたから。

(148字)

 

 

 2013年 岡山大学・理系・後期

 

問題1

 課題文でも述べられているように、遺伝子診断の問題点の1つは、遺伝子の他者との違いを、「個性」とみなすのか、「病気」とみなすのかの境界が曖昧なところだ。現在、急速に遺伝子の研究が進み、その役割が解明されつつあるが、いまだに不明な点は多いので、軽はずみな判断は下せない。2つ目は、先天的な病気・障害が見つかった場合、中絶する可能性を生み出してしまうところだ。中絶を決意した場合、親の心に大きな傷を残してしまう可能性がある。またこの決断は、先天性の病気や障害に苦しみながらも、充実した人生を送っている人々の人権や存在を否定することにもつながるだろう。

 このように、遺伝子診断技術は、その登場前には予想だにしなかった悩みを人間に与えることになったのである。この技術を使うならば、使う以前に様々な状況をシミュレーションし、どんな結果になっても冷静に対処できるように覚悟を決めておく必要があると考える。

(394字)

 

 

 

 

2014年 岡山大 前期 問題1

 設問1

人間が全員、それぞれに生まれ持った個性は、真似をしようとしても真似できるものではないので、他者の反応や思惑に影響されて、義務のように個性を磨く必要はないのに、多くの人々は他の誰も持っていないような特殊なスキルを持つことが個性的であるように受け取り、個性を人より目立つことであると錯覚しているから。

(148字)

 

 設問2 (582字)

 筆者も主張するにように、自分の本当に好きなものや興味のあることに気持ちを向け、それを追求することが、本当の意味で「個性を磨くこと」であり、自分力を高めることにつながる、と私も考える。

 私は歴史が好きなのだが、なぜそれに興味をもったのかと言われても、その理由を説明しつくすこと難しい。生まれ持った個性が、自然に歴史への関心を持たせたとしか言いようがない。歴史に興味をもっている人間は、他にもたくさんいる。そういう意味では個性的と呼べないかもしれない。だが、その関心も細かく追究していけば、多くの人々とは異なってくる。突き詰めれば突き詰めるほど、私の個性は際立つだのだ。

 このように、私は個性を磨こうとして個性的になったわけではない。他者と異なろうとして個性的になったわけでもない。誰かに命じられたわけでも、他者の反応や思惑によって勉強を続けてきたわけでもない。自分で選んだからこそ続けてこられたのだ。歴史の勉強で身につけた考え方は、自分の考え方の土台にもなっている。

 私が養護教諭として子どもに接するときには、子どもが関心をもって取り組んでいることを、まずは応援したい。関心が見つかっていないのであれば、さまざまなことにチャレンジさせたい。挫折することもあるだろうが、そういう過程のなかで、大切な何かを発見できるだろう。それをやり続けることが子どもの成長につながるはずだ。

 

 

2015年 岡山大 前期 問題1

 設問1

どのような事柄にでも、割り切れないことはあるのに、私たちは単純な二分法でその是非を決めつけたがり、そうすることで判断は済んだと思うのであるが、そのネガティヴに捉えてしまうグレーゾーンにこそ、思考を次のステップへと昇華させる大きな要因があるので、割りきれない想いを抹消してはならないと考えられるから。

(149字)

 

 設問2

 私にも、学校生活のなかで噛みきれない想いを感じた経験がある。先日も、文化祭での出し物を決めるにあたって、演劇と合唱の2つの意見が提案された。私は、クラス全員が舞台に立ち、一緒に調和を作り出す点に魅力を感じて、合唱を推していたため、多数決の結果、合唱に決まったときには嬉しかった。だが、いざ合唱の練習を始めると、演劇を推していていたクラスメイトのやる気のなさが目立つようになった。その時私は、彼らの意見が通らなかったため、やる気がないのだと考えていた。だが、彼らの話を聞いていくうちに自分の考えは少しずつ変わっていった。クラスのなかには、人前に立つこと、歌うことが苦手な人もいるし、裏方に徹することのほうにやりがいを感じる人もいるのだ。このとき私は、表面上の意味と異なる、別の意味があることに気づいた。クラスの出し物は単純な二分法によって合唱に決まり、判断は済んだと思っていたが、演劇を選んだ人たちは割りきれない思いを残していた。もっと議論を尽くせば、結果は変わっていたかもしれないし、少なくとも今よりは納得いくかたちで決めることができたと考える。

 養護教諭となった私のもとにも、こうした噛み切れない想いを抱いて、子どもたちは訪れてくるだろう。私はその想いをしっかりと聞き出し、彼らの発言の表面上の意味に左右されず、より本質的な意味に耳を傾けられるような接し方を心がけたい。       (585字)

 

 

 2016年 岡山大・文系前期

 

設問1

文中の3人に共通している点は、友達との距離の取り方で苦しんでいるところである。⒜の男子は話しかけてきた友達への返事の仕方がわからず、黙ってしまうことで友達が離れ、⒝の男子は関係を修復しようとしつこく電話をかけ続けて嫌われ、⒞の女性は一気に近寄りすぎ、深刻な悩みを話すことで避けられるようになっている。

(150字)

 

 

 2016年 岡山大・保健学部・後期

 

問題1 設問1

最先端の科学によって文明化されたライフスタイルを送り、文明化された食事を摂っている欧米人とは異なり、狩猟採集といった昔ながらの原始的な暮らしをしている。

                     (76字)