周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

とある解答例

2016年 山口県立大 総合問題 問題1

 設問3

その人にしかできないこと。(13字)

 

 設問4

 「心のバリアフリー」とは、他者に対する差別や偏見が消えた状態を目指すことだと考える。そのためには、課題文の指摘にもあるように、他人を認める心が必要だ。こうした心をもつには、まず自分の役割や存在価値を認め、自分を大切にできなければならない。それができれば、自分と同様にかけがえのない存在である他者も、大切な存在と認めることができるようになるのだ。だが、課題文のように、他者を認める心が、自分を認めることからのみ生まれるとは限らない。

 先だって開催されたパラリンピックで活躍する選手の姿は、そのことを痛感させた。ハンディキャップを乗り越え、優れた能力を発揮する選手の姿を見て、彼らを障害者としてではなく、一人の人間として優れた存在だと感じた。それと同時に、精神的・身体的な障害というわかりやすい指標ではなくとも、人間はそれぞれに限界を抱えた存在であることにも気づいた。どのような人間にも限界がある。だが、その限界も努力で乗り越えられるということを教わった。

 障害者・健常者という枠組み意識を、完全に消し去ることはできないだろう。だが、限界をもち、それを乗り越えようとするのは、障害者も健常者も同じことだ。

(498字)

 

 

2015年 山口県立大 総合問題 問題1

 設問2

はじめは勉強すればするほど知識の量は増大して能率も上がるが、かなり精通してくると、新しく学ぶべきことが少なくなり、新鮮な好奇心が失われ、知識量や能率が伸びなくなっていくこと。

 

 設問3

整理とは、その人のもっている関心、興味、価値観(これらはだいたいにおいて同心円を描く)によって、ふるいにかける作業

 

 設問4

知識の量が増大して一定の限度を越すと飽和状態に達し、あとはいくら増やそうとしても流出してしまう。そのうえ問題に対する好奇心が薄れてきて、知識欲も低下するので、知識も意識的に整理しなければならない。自分の持っている関心、興味、価値観によって、在庫の知識を再点検して、少しずつ慎重に、臨時的なものを捨てていく。そして、不易の知識のみが残るようになれば、そのときの知識は、それ自体が力になりうるはずである。

(200字)

 

 

2014年 山口県立大 総合問題

 問題1 設問3

和食は、目、鼻、口、耳、手といった「五感」で感じる食である。それは目に見えない世界、つまり「心に訴える世界」を持っており、心をつくる食なのである。日本人は自分の「生きざま」というものを、四季の巡りという時の流れに合わせ、生きるはかなささやわびしさを感情に託すような情緒的背景をもって、侘び・寂びの食文化を作ってきたのだ。昔の日本人のように、粗食ではあるが、旬を感じられるような食生活の方が心にも体にもよく、子供たちの心と体の健全な成長のために、日本の食生活、和食を見直すべきなのである。

(243字)

 

 

2013年 山口県立大 総合問題

 問題1 設問4 問2

自分で考えてみることをしないで、思考の最初の段階から「情報を集める」という行為をしようとすること。

(49字)

 

 設問5

現代には情報が溢れており、わからないことがあってもインターネットで検索すれば、たいてい何らかの情報が得られる。だが、本来、情報は何かを考えるための資料であって、他人から得た情報は自分で考えた結果の答えでも成果でもない。そもそも「考える」ということは、まず自分の知識と経験の範囲で答えを導き出す努力をすることだ。人間の脳は考えるようにできており、人類の歴史は、多くの人々が「考える」ということを継続してきた結果、発展してきたのだ。「わかる」ことと「理解する」ことは別物である。情報をいくら集めても理解できなければ役に立たない。そのためには自分で「考える」そして「考え抜く」習慣が必要なのだ。

(294字)