南部州大日本国浄土寺臥雲沙門某等至心合掌、異口同音、帰依一切仏、帰依一切法、
(僧) (明脱)
帰依一切□、而言、夫不空羂索毗盧遮那大灌頂光真言者、我本師釈迦如来因位之者、
持念之時、放無量無数之光明、照三千大千之世界、降伏一切之魔軍、済度一切之衆生、
籍茲神呪之力、純證仏果之位、夫然則、法界智之為所依也、月添大円鏡之輝、平等性之
得無垢也、露瑩摩尼珠之色、大悲観自在尊説此真言、以耀白毫於眉間、毗盧遮那如来亦
説此真言、以灌宝光於頂上、何況、衆罪悉除、相同朝日之消霜露、巨富飽足、還咲腕雲
(提)
之浮虚空、凡厥利益不可勝図、是以青丘元暁大師之問答銘肝、西方須摩題国之往生、有
憑十悪五逆之群類、三途八難之衆生、悉蒙土砂加持之悪、宜託金刹安養之境、寔是菩薩
普賢之願海、如来清浄之法輪也、因茲、卜七日七夜之光陰、賁瑜祇之壇場、令一結衆勤
不退行、始従去歳、限未来際、其意云何、律法中興以降、勤修内衆之徒、若干亡霊増進
仏道、兼復所嘗共遊一塗同善一室、近年之際索、然已尽、凡入此真言門之侶、更抛
名利、伴此貧道之彙、豈蓄財宝於没後之追福、恃衆中之救助、中陰一廻之間、雖似
懇篤、下世累歳之後、頗以等閑、仍営此別行、為永代作善、出家五衆八斎戒輩并此衆等
之恩所、当寺之大檀那為期再会於浄仏土、所載名字過去帳也、加之六道四生皆是劫々
父母、鐡囲砂界莫不世々之朋友、思彼楚痛為我殷憂、昭々乎艤六度之舟、游々焉登
三覚之岸、廻施無貳出離不疑、方今以季秋四朝為開白初日、本願聖霊上生之忌辰也、
資仏身之相好、釈提桓因南嚮之良曜也、仰天眼之照鑒、于時地形奇絶、如踏清涼地、
天時日光朗省昇都率天、霜葉之飄禅窓也、自叶麟喩独覚之観、風松之繞仏閣也、遥契
龍葩三会之期此焉、修善不其悦乎、勤行次第、道場荘厳、種々法式、一々飄録、守其
雅趣、永勿失墜、彼入栴檀林者、花粧薫身、過崑崙嶺者、玉色随歩、法之染着上復只且
弟子等慧苑之凡藂、禅樹之枯株也、仏日西蔵而二千余廻、挑律炬之欲消、法水東漸而
幾多許歳、導戒流之欲涸、於本朝雖㾱失、於我等聊興隆王法、繇茲弥繁昌、仏法為厥専
恢弘者欤、弟子等上求下化之外、有何慮忘自救他之余無他年、於戯一日持斎、有六十
万載之資糧、矧於限一生哉、一戒効能有二十五神之擁護、矧於全諸戒哉、守斯禁戒
律儀、称念光明真言、誰不随喜、誰不殷勤、惣而言之、為仏道為法界而修、不為身而
修、世尊若納受、衆生悉解脱、仰願当寺本尊、伏乞十方諸仏、哀愍聴許知見証明、
昔釈苞公七日七夜之斎会、仙鶴忽化現于其庭、今仏弟子七日七夜之恵薫、仏駄定影向
于此砌、精誠惟同、玄応猶勝而已、乃至発因起縁、成順成逆、皆以七朝善根、将為
(1265)
文永二年九月 日 浄土寺沙門等敬白
(奥裏書) (1362)
「青蓮宮院御手跡也、康安二季壬寅五月日下給之、草案土代者興正菩薩云々、而儒家之人ニ被引直様にて候、」
◯本文書ハ巻子ニ仕立テラル(第三巻)
「書き下し文」
南部州大日本国浄土寺臥雲の沙門某ら至心合掌し、異口同音に、一切仏に帰依し、一切法に帰依し、一切僧に帰依す、而して言ふに、夫れ不空羂索毗盧遮那大灌頂光真言は、我が本師釈迦如来因位の昔、持念の時、無量無数の光明を放ち、三千大千の世界を照らし、一切の魔軍を降伏し、一切の衆生を済度し、茲に神呪の力を籍り、純ら仏果の位を証す、夫れ然れば則ち、法界智の所依と為るなり、月大円鏡の輝きに添へ、平等性の無垢を得るなり、露摩尼珠の色を瑩く、大悲観自在尊此の真言を説き、以て白毫を眉間に耀かし、毘盧遮那如来亦此の真言を説き、以て宝光を頂上に灌ぐ。何ぞ況や衆罪悉除は朝日の霜露を消すに相同じきをや、巨富飽足、還つて暁雲の虚空に浮かぶを咲ふ、凡そ厥の利益勝げて図るべからず。是を以て青丘元暁大師の問答肝に銘じ、西方須摩提国の往生憑み有り、十悪五逆の群類、三途八難の衆生、悉く土砂加持の徳を蒙り、宜しく金刹安養の境に託すべし、寔に是菩薩普賢の願海、如来清浄の法輪なり。茲に因り、七日七夜の光陰を卜し、瑜伽瑜祇の壇場を賁り、一結衆をして不退行を勤めしむ、去歳より始めて、未来際を限る、其の意云何。律法中興以降、勤修内衆の徒を若干の亡霊仏道に増進し、兼ねて復曾て共に一途に遊び同じく一室に禅する所、近年の際、策然として已盡きぬ、凡そ此の真言門に入るの侶、更に名利を抛つ、此の貧道に伴ふの彙、豈に財宝を蓄えんや、没後の追福に於いては、衆中の救助を恃む、中陰一廻の間、懇篤に似ると雖も、下世累歳の後、頗る以て等閑なり、仍に此の別行を営み、永代作善と為す、出家の五衆八齋戒の輩幷びに此の衆等の恩、所當寺の大檀那、再会を期せんが為に浄仏土において名字を過去帳に載する所なり、しかのみならず六道四生は皆是劫々の父母、鉄囲沙界世々の朋友にあらざるはなし、彼を思へば楚痛し我が慇憂と為る。昭々乎として六度の舟を艤ひ、游々焉として三覚の岸に登る、廻施無二出離疑はず、方に今季秋四朝を以て開白の初日と為す、本願聖霊上生の忌辰なり、仏身の相好を資く、釈提桓因南嚮の良曜なり、天眼の照鑒を仰ぎ、時に地形奇絶、清涼地を踏むがごとし、天時日光朗省にして都率天に昇る、霜葉の禅窓に飄るなり、自ら麟喩独覚の観に叶ひ、風松の佛閣を繞るなり。遥かに龍葩三会の期を契る、此に焉んぞ修善それ悦ばしからずや、勤行の次第、道場の荘厳、種々の法式、一々飄録す、其の雅趣を守り、永く失墜する勿かれ、彼の栴檀林に入る者は花の粧に身を薫ず、崑崙嶺を過ぐる者は、玉の色歩に随ふ、法の染着復かくばかりなり。且つ弟子ら慧苑の凡藂、禅樹の枯株なり、佛日西に蔵れて二千余廻、律炬の消えんと欲するに挑み、法水東に漸みて幾多ばかりの歳ぞ、戒流の涸れんと欲す、本朝に於いて廃失すと雖も、我らにおいて聊か興隆す、王法茲に繇ひ弥々繁昌す、仏法厥れがために専ら恢弘する者か、弟子ら上求下化の外、何の慮りか有る、自らを忘れ他を救ふの余り、他念無し、戯れに一日持斉するに於いて、六十萬載の資量、矧んや一生を限るに於いてをや、一戒の功能、二十五神の擁護有り、矧んや諸戒を全うするに於いてをや、斯の禁戒律儀を守り、光明真言を称念せば、誰か随喜せざらんや、誰か慇懃ならざらんや、惣じて之を言ふに、仏道のため法界のためにして修す、身の為にして修せず、世尊若し納受せば、衆生悉く解脱す、当寺本尊に仰ぎ願ひ、十方諸仏に伏して乞へば、哀愍聴許し、知見証明せよ、昔釈苞公七日七夜の齋会、仙鶴忽ち其の庭に化現す、今仏弟子七日七夜の恵薫、仏陀定めて此の砌に影向す、精誠惟同じ、玄應猶ほ勝るるのみ、乃至發因起縁は順と成り逆と成る、皆七朝の善根を以て、将に未世の張本と為さんとす、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん、敬白、
文永二年九月 日 浄土寺沙門等敬白
「青蓮宮院の御手跡なり、康安二季壬寅五月日に之を下し給ふ、草案土代は興正菩薩と云々、而して儒家の人に引き直さるる様にて候ふ、」
「解釈」
南瞻部洲大日本国浄土寺の隠居僧の某らが真心を込めて合掌し、異口同音に、一切の仏に帰依し、一切の法に帰依し、一切の僧に帰依する。加えて申し上げるには、そもそも不空羂索毗盧遮那大灌頂光真言は、わが本師釈迦如来が仏になるために修行していた昔、禅定に専念していたときに、無量無数の光明を放ち、三千大千の世界を照らし、一切の魔軍を降伏し、一切の衆生を済度した。このときに霊妙な呪文の力を借り、煩悩を脱することに専念し悟りを開いた。だから、法界体性智(法界の本性を明らかにする智慧)は拠り所となる。月は大円鏡智(大円鏡のようにあらゆるものを顕現する智慧)に輝きを添え、平等性智(すべての事象と自他の平等を観ずる智慧)は煩悩のない状態にでき、露は摩尼珠の色を磨く。大悲観自在尊はこの真言を説いて、白毫を眉間に輝かし、毘盧遮那如来はまたこの真言を説いて、宝光を頂上に注ぐ。ましてや衆罪悉除についてはなおさら、朝日が霜や露を消すのと同じように消し去るだろう。巨万の富への満足は、かえって夜明け方の雲が虚空に浮かぶのを笑う。まったくその利益を数え尽くすことはできない。こういうわけで青丘元暁大師(新羅の華厳僧)の問答を肝に銘じ、西方須摩提国(極楽)の往生を当てにする。十悪五逆の罪を犯した者どもや、三途八難に生きる衆生は、ことごとく土砂加持のご利益をいただき、金色の寺院のある極楽世界にその身を託すのがよい。本当にこれは、菩薩の広く尊い誓願、如来の清浄な教えである。ここで七日七夜の間、日光と月光を占い、瑜伽瑜祇の壇場を整え、一つの結衆に不退行を勤めさせた。去年より始めて未来の果てまでを限る。その考えはどうだろうか。戒律復興以降、修行に励んでいる内衆は、若干の亡霊に仏道の効験を増加させる。以前から一緒にひたすら気ままに暮らし、同じく一室で禅定していたところ、近年、次第に減少し尽きてしまった。だいたいこの真言宗に入門した僧侶は、名利を投げ捨て、この貧しい道に付き従うのに、どうして財宝を蓄えようか、いや蓄えない。没後の冥福については、衆中の助けを当てにする。中陰一回りの間は懇切であるけれども、亡くなって歳を重ねた後は、たいそういい加減な祈りになる。熱心にこの土砂加持を行い、永代作善とする。出家の五衆八齋戒の輩ならびにこの衆らの恩、所當寺の大檀那は、再会を誓おうとして、浄土で名字を過去帳に記載するのである。それだけでなく、六道四生はみなこれ、長い時間における父母や娑婆世界の代々の友人である。彼らを思うと痛み苦しみ、私の大きな悩みとなる。隅々まで明らかにして六度の出船の準備をし、泳ぐように三覚の岸に登り着く。回向に背くことはなく、出離を疑わない。今秋の四日(九月四日)を法会の初日とする。本願称徳帝の御忌日である。仏身の特徴を助ける。帝釈天は南に向いたすばらしい星である。天眼のご覧をいただき、時に地形はすばらしく、清涼な地を踏むようなものである。天が与えた機会は日の光が朗らかで、都率天に昇った。色づいた葉が寺の窓に翻っている。ひとりで悟りを開き、風は松の生えている仏閣をめぐっているのである。はるか未来の龍華三会の機会にめぐりあうことを約束する。本当になんと善行を積むことは喜ばしいことではないか。修行の順序、道場の飾り付け、さまざまな法会はいちいち記録した。その風雅なおもむきを守り、永久に堕落してはならない。あの栴檀の林に入る者は、美しく咲いている花の香りがその身から自然と香る。崑崙山に立ち寄る者は、宝玉の色がその歩みに付き従う。法衣もまたこのようである。その一方で、慧苑の弟子たちは凡庸で、取るに足らない者である。仏の光明が西に隠れて二千年あまり、戒律の灯火が消えようとするのに挑み、煩悩を洗い清める水は東に進んでどれほどの年が経ったか。戒律の流派が途絶えようとしている。インドで戒律が退廃したが、日本で少しばかり再興した。正しい教えはこれに従い、ますます繁栄した。仏法はこのために広く世に広まるだろう。弟子たちは自らの悟りと人々の救済以外に、何の考えがあるだろうか、いや何もない。自身を忘れ他者を救うあまり、他の考えはない。戯れに一日でさえ持斉すれば、六十万年分の資産を得るだろう。まして一生涯であれば、なおさら巨万の資産を得るだろう。一つの戒律を守ることの効能でさえ、二十五神の擁護がある。ましてさまざまな戒律をすべて守れば、なおさら多くの仏神の擁護を得るだろう。この禁戒律儀を守り、光明真言を称念すれば、みな随喜するだろうし、みな礼儀正しくなるだろう。一般に言うには、仏道のため法界のために修行する。自分自身のために修行するのではない。釈迦がもし願いを受け入れてくれるなら、衆生はみな解脱できるだろう。当寺本尊を敬って祈願し、十方諸仏に謹んで祈願するので、衆生を憐れんで願いを聞き入れ、真実の知恵を証明してください。昔、釈迦が七日七夜の斎会を行ったとき、仙人の乗る鶴がすぐにその庭に出現した。いま仏弟子が七日七夜の戒香薫習(戒を守ることで徳の香りを周囲に漂わせ、その影響が自分や他者の心に深く浸透する)すれば、仏陀はきっと定めてこの時に姿を現すだろう。真心を尽くすことは同じでも、玄應(唐の僧侶)功績にも勝るだろう。または、因縁・結果の生起は順となり逆ともなる。みな七朝の善行によって、未世の起因になろうとしている。我らと衆生とみな一緒に悟りを得られますように。謹んで申し上げます。
文永二年九月 日 浄土寺沙門等敬白
「青蓮院宮のご筆跡である。康安二年壬寅五月日にこれを下さった。草案・土代は興正菩薩叡尊がお書きになったという。そして、儒学者によって書き直されたようです。」
「注釈」
①『広島県重要文化財 浄土寺文書の世界』(ふくやま書道美術館、2017年、99・100頁)
②あまりに難しすぎて、手も足も出ませんでした…。