一七 親遠下地充文
宛下
久嶋なら原のしやくゑんか跡之事
合参反
右の下地者、しやくゑんか譲状の旨にまかせて、三郎左衛門に令レ下レ地者也、此上
(他)
者無二代妨一、永代子々孫々迄、可二領地一に計下状如レ件、
(1442)
嘉吉二年壬戌八月十五日 親遠(花押)
「書き下し文」
充て下す
久嶋なら原のしやくゑんか跡の事、
合参反
右の下地は、しやくゑんか譲状の旨にまかせて、三郎左衛門に地を下さしむ者なり、
この上は他の妨げ無く、永代子々孫々まで、領地すべきに計らい下す状件のごとし、
「解釈」
給与する 久嶋郷楢原のしゃくえんの遺領の事、
合計三反
右の下地は、しゃくえんの譲状の内容のとおりに、三郎左衛門に下地を与える者である。このうえは、他人の妨害もなく、永久に子々孫々まで領有すべきように適切に処置し給与する充文の内容は、以上のとおりである。
「注釈」
「しやくえん」─未詳。小田氏(楢原氏)か。
「三郎左衛門」─未詳。小田氏(楢原氏・奈良原氏)の一族か。
「親遠」─「親」の通字から、厳島神主家藤原氏の一族で、久嶋郷の地頭と考えられま
す。公文(刀禰)一族の譲与を、地頭が追認・安堵した文書ではないでしょ
うか。