五七 久島郷刀禰元家下地充文
(久) (孫兵衛)
久嶋之郷之内う地のり下地、いかち⬜︎⬜︎のまこひやうへと申百姓ニ申付候上ハ、
(先例) (勤)
せんれいにまかせて、[ ]公事もきんかうニきんすへく候なり、かの下地ニ
(何方) (違乱) (妨)
おいて、いつかたよりもいらんさまたけあるましく候、若又いつかたよりも後日ニ何
(旨) (愁訴) (等閑)
かと申方候者、此むね以しうそ申され候へく候、少も此方よりとうかんの儀あるま
しく候、仍爲二後日一一筆之状如レ件、
(1515) 久嶋刀禰太郎右衛門尉
永正十二年亥乙十一月十一日 元家(花押)
うちのり百姓孫兵衛遣レ之候
「書き下し文」(可能な限り漢字仮名交じりにしました)
久嶋の郷の内うちのり下地、いかち⬜︎⬜︎の孫兵衛と申す百姓に申し付け候ふ上は、先例に任せて、[ ]公事も勤厚に勤すべく候ふなり、彼の下地において、何方よりも違乱・妨げあるまじく候ふ、若し又何方よりも後日に何かと申す方候はば、此の旨を以て愁訴申され候ふべく候ふ、少しも此方より等閑の儀あるまじく候ふ、仍て後日の爲一筆の状件のごとし、
「解釈」
久嶋郷の内うちのりの下地を、いかち⬜︎⬜︎の孫兵衛と申す百姓に給与するうえは、先例のとおりに、年貢・公事も忠実に勤めなければならないのである。この下地に関しては、どこからも違乱や妨害はあるはずもありません。もしまたどこからか後日に何かと異議を申すものがおりましたなら、この充文の内容をもって訴え申し上げるべきです。こちらでは少しもいい加減に扱うことはあるはずもありません。そこで、後日の証明のため充文の内容は以上のとおりです。
「注釈」
「うちのり孫兵衛」─未詳。下地の被給与者。
「元家」─久嶋郷の刀禰。刀禰は名主とともに百姓らを代表して、政所に要求を出した
り、庄務を補助する立場にあった(後掲、池論文)。
*池論文では、荘園領主・地頭によって掌握されていた下地進止権が刀禰の手に移った
と評価されている(池享「中世後期における「百姓的」剰余取得権の成立と展開 」
『大名領国制の研究』校倉書房、一九九五)、https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/handle/10086/18661)。