二三 杉隆眞書状
爲二月山茶之湯一寺領少付置申候、無二相違一様何篇可レ被二仰付一事可レ忝候、後々
共ニ無二闕如一可レ被レ加二尊意一儀奉二憑存一候、於二只今一茂彼寺内別而被レ付二御
心一之由、誠以忝次第候、爲二金江小寺家等仕度一雖二内存御座候一、迚當寺ニ被二
仕置一候之条、不レ能二其儀一候、萬々御芳志憑存之外無レ他事候、猶委細於二旨
趣一者、伊藤太郎左衛門尉福田圖書允可二申入一候、恐々謹言、
二月廿三日 隆眞(花押)
洞雲寺 侍者御中
「書き下し文」
月山茶の湯として、寺領を少し付け置き申し候ふ、相違無き様何遍も仰せ付けらるべき事忝かるべく候ふ、後々共に闕如無く尊意を加えらるべき儀憑み存じ奉るべく候ふ、只今に於いても彼の寺内別して御心を付けらるるの由、誠に以て忝き次第に候ふ、金江小寺家仕度として内存御座候ふと雖も、迚も當寺に仕置かれ候ふの条、其の儀に能はず候ふ、萬々御芳志を憑み存ずるの外他無き事に候ふ、猶ほ委細旨趣に於いては、伊藤太郎左衛門尉・福田圖書允申し入るべく候ふ、恐々謹言、
「解釈」
月山の茶湯料として、寺領を少し加え申し上げます。間違いのないように何度もお命じにならなければならないことに恐縮しています。今後、両者ともに不足のないように、洞雲寺様が考慮なされるはずであると、頼りに思い申し上げております。現在もあの寺内のことについて、とりわけお心遣いをなされていることに、本当に恐縮しております。金江小寺家の準備として心の中で思っていることはありますが、あれやこれやと洞雲寺によって取り仕切られておりますので、我々が準備することはできません。すべて洞雲寺様のお心遣いを頼りに思い申し上げるほかありません。さらに、細かい事情については、伊藤太郎左衛門尉と福田図書允が申し入れるはずです。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「月山茶之湯」─「茶之湯」は「茶湯(ちゃとう)」のことか。当時、葬送や法要の際
に、仏前・霊前に茶を供えていたそうです。「月山」というのはよく
わかりませんが、地名か行事か、誰かの法名かもしれません。吉村亨
「葬礼儀礼の茶俗」(『人間文化研究』京都学園大学人間文化学会紀
要二五、二〇一〇・三、http://ci.nii.ac.jp/els/110007730820.pdf?id=ART0009529994&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1479049631&cp=)など参照。
「金江小寺家」─未詳。読み方もわかりません。
「伊藤太郎左衛門尉・福田圖書允」─未詳。厳島神主杉隆眞の被官(使者)か。
「杉隆眞」─厳島神主、佐伯景教(杉隆真)。大内氏によって、神主に据えられた。
「侍者」─洞雲寺の訴訟担当者、衣鉢侍者のことか。