一六 武田光誠氏信書状寫
不動堂建立事尤可レ然候、仍爲二彼寺領一始二苻中之堤興行事一、在所繪圖加二一
見一畢、不レ可レ有二子細一候、且當堂被二取立一候後、寄附状等者重可レ進候、先
以二此状一可レ有二御興隆一候也、恐々謹言、
正月十七日 光誠
判
福王寺坊主
御返事
「書き下し文」
不動堂建立の事尤も然るべく候ふ、仍て彼の寺領のため府中の堤興行の事を始め、在所の絵図一見を加へ畢んぬ、子細有るべからず候ふ、且つ当堂を取り立てられ候ふ後、寄附状等は重ねて進らすべくそうろうふ、先ず此の状を以て御興隆有るべく候ふなり、恐々謹言、
「解釈」
不動堂建立のことは、当然りっぱなことです。そこで、不動堂の寺領のため、府中の築堤を始め、在所の絵図を一見した。異論があるはずもないです。その上、当堂をご建立になりました後に、寄進状などは重ねて進上するつもりです。まずこの書状をもってご興隆になるべきです。以上、謹んで申し上げます。
「注釈」
「不動堂」─未詳。福王寺の堂舎か。
「府中の堤」─未詳。
「福王寺坊主」─未詳。