二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その3
*本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま
記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が
長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。
山ノ絶–頂ニ有リ二一–池一、大–師相臨ミ自撥フ二藻–蘚ヲ一、則清–華含レ天山–樹
倒ニスレ影ヲ、身–心凄–然トシテ可レ䟽二煩–想ヲ一時ニ忽チ有テ二金–色ノ龜一浮出ツ、
延テレ頸ヲ而三ヒ前ミ三ヒ退ク、大–師感–見シテ以テ二金–龜ヲ一爲二山–号ト一、本–尊
福–智該–主ノ之明–王ナルカ故ニ云二福–王–寺ト一、
夫レ龜ノ之爲ルヤレ霊也、游コト三–千–歳ニシテ不レ出二其域ヲ一、安–平靜–正ニシテ
動コト不レ用レ力ヲ、壽蔽ヒ二天地一與レ物變–化ス、四–時變レ色居テ而自匿レ伏シテ
不レ食ハ、春ハ蒼夏ハ黄秋ハ白冬ハ黑シ、傳ニ曰ク蓍生シテ満(寸)二百–莖ニ一者下必
有テ二神–龜一守ルレ之ヲ、其ノ上常ニ有テ二青–雲一覆フレ之、又曰ク龜ノ所ロレ生ル
獣無ク二虎–狼一草無シ二毒螫一焉、知二天ノ之道ヲ一明二於上–古ニ一知二利–害ヲ一
察ス二禍–福ヲ一、龜ノ之神ナルコト也若シレ此、豈ニ偉ナル哉可シレ不レ敬歟、故ニ
藏シテ二高庿ニ一以テ爲二神–寶ト一焉、如キ二今ノ之金–龜ノ一又不ノレ可レ測ル之
感也、
つづく
「書き下し文」
山の絶頂に一池有り、大師相臨み自ら藻や苔を撥ふ、則ち清華天を含み山樹影を倒に
す、身心凄然として煩想を疏くべき時に忽ち金色の亀有りて浮き出づ、頸を延ばして
三たび前み三たび退く、大師感見して金亀を以て山号と為す、本尊福智該主の明王な
るが故に福王寺と云ふ、
夫れ亀の霊たるや、游すること三千歳にして其の域を出でず、安平静正にして動く
こと力を用ひず、寿天地を蔽ひ、物と與に変化す、四時に色を変じ居りて自ら匿
れ、伏して食はず、春は蒼く夏は黄に、秋は白く、冬は黒し、伝に曰く蓍生じて百
茎に満たす者は下に必ず神亀有りて之を守る、其の上に常に青雲有りて之を覆ふ、
又曰く亀の生ずる所、獣に虎狼無く、草に毒螫無し、天の道を知ること上古に明ら
かなり、利害を知り禍福を察す、亀の神なることや此くのごとし、豈に偉なるや敬
はざるべし、故に高庿に蔵して以て神宝と為す、今の金亀のごとき又測るべからざ
るの感なり、
つづく
「解釈」
山の頂上に一つの池がある。大師はそこに臨み、自ら藻や苔を取り除いた。すると、清らかな花々が天を覆い、山の木々がその姿を逆さまにした。心身は冷え冷えとして世事の煩わしい思いを除くことができたときに、すぐに金色の亀が現れ浮き出てきた。首を伸ばして三歩前進し三歩後退した。弘法大師は感動しながら見て、この金色の亀を理由に、金亀山を山号とした。本尊は福行と智行の功徳を併せ持つ不動明王であるがゆえに、福王寺と言う。
そもそも亀のはかりしれない不思議な力とは、三千年のあいだ泳ぎ続け、その生存区域を出ることはない。動くことに力を使わない。その長寿は天地の長さを超え、物とともに変化する。四季ごとに体の色が変わり、自分からその身を隠し、隠れ潜んでいるあいだは物を食べることはない。春は青く、夏は黄色、秋は白く、冬は黒色になる。古い書物には、メドギが成長して百本の茎になったとき、その下には必ず霊妙なる亀がいてこれを守り、その上には常に青い雲があってこれを覆っているという。また、亀が暮らしているところには、虎や狼のような猛獣はおらず、草むらには毒虫もいない。亀が天の道を知っていることは、遠い昔から明らかなことだ。利害を知り、不幸や幸福を感じ取ることもできる。亀の霊妙なことは、このようなものである。亀の優れていることは、どうして敬わないことがあろうか、いや敬うべきである。だから、立派な祠にしまい、神聖な宝物としているのだ。この金色の亀のようなものは、やはり人知では測りきれない力があると感じる。
つづく
「注釈」
*この部分は、「亀策列伝」(『史記』巻一二八)を参考に書かれたものと考えられま
す。この縁起を作成したのは「寛雅」という僧侶と考えられます。彼がどこで修行を
し、その知識を身につけたのかはよくわかりませんが、室町時代の安芸国の真言寺院
に、『史記』の知識をもっていた僧侶がいたことは、これではっきりします。以下、
参考までに「亀策列伝」における類似文章を記しておきます。なお、文章・書き下し
文・解釈は、『新釈漢文大系』一一五(明治書院、二〇一三)を引用しました。
①「夫龜之爲霊也」以降─『新釈漢文大系』一一五、三一九頁。
[本文]
游三千歳、不レ出二其域一。安平靜正、動不レ用レ力。壽蔽二天地一、莫レ知二其極一。與レ物變化、四時變レ色。居而自匿、伏而不レ食、春蒼夏黄、秋白冬黑。
[書き下し文]
游すること三千歳、其の域を出でず。安平靜正(あんぺいせいせい)にして、動くに力を用ひず。壽、天地を蔽(おほ)ひ、其の極を知るもの無し。物と與(とも)に變化し、四時(しじ)に色を變ず。居りて自(みづか)ら匿れ、伏して食らはず、春は倉(あを)く夏は黄に、秋は白く冬は黑し。
[現代語訳]
三千年の間、遊歴して、その生存区域を出ることがありません。心は平静で正しく、動き回っても力を使いません。その寿命は天地をも超え、きわまるところを知りません。万物とともに変化し、四季ごとに体の色が変わります。ふだんは自分からその身を隠し、隠れ潜んでいる間は、物を食べません。春は青く夏は黄色、秋は白く冬は黒色になります。
②「傳曰」以降─『新釈漢文大系』一一五、三〇四頁。
[本文]
聞蓍生満二百莖一者、其下必有二神龜一守レ之、其上常有二青雲一覆レ之。
[書き下し文]
聞く、蓍(し)生(しやう)じて百莖(ひやくけい)に満つる者は、其の下(しも)に必ず神龜(しんき)有りて之を守り、其の上(かみ)に常に青雲有りて之を覆ふと。
[現代語訳]
聞くところでは、メドギは成長して百本の茎になった時、その下にはきっとこれを守る霊妙なる亀がおり、その上には常にこれを覆う青い雲があるという。
③「又曰」以降─『新釈漢文大系』一一五、三〇〇頁。
[本文]
又其所レ生、獣無二虎狼一、草無二毒螫一。
[書き下し文]
又其の生ずる所、獣に虎狼無く、草に毒螫(どくせき)無し。
[現代語訳]
またメドギの生えている所には、虎や狼などの猛獣はおらず、毒虫のいる草はないとのことであった。
*『縁起』では「龜所生」となっていますが、『史記』では「其所生」となってお
り、かつ「其」の指示先は「蓍」(メドギ)です。つまり『縁起』作者寛雅は、間
違えて引用したか、あるいは「亀」で文章を作り変えたのかもしません。