「須佐神社文書解説」
当社は「小童(ひち)の祇園さん」の名前で親しまれている。『芸藩通志』によると「文禄三年甲午(一五九四)毛利氏営造」とあるが、これは社殿の造立を指していると思われる。当社の縁起はそれをさかのぼる文明元年(一四六九)の成立である。本縁起は別称を「牛頭天王縁起」ともいう。同社には、永正十四年(一五一七)の墨書のある大神輿もある。この銘文は付録(一一九四頁)に掲げた。須佐神社のある小童保は、平安末の承徳年間から官省符の地として大小の国役を免じられており、早くから京都祇園社領として支配されていた。
*次回から紹介する史料の書き下し文や解釈には、以下の文献を参照しました。
西田長男「祇園牛頭天王縁起の成立」(真弓常忠編『祇園信仰事典』神仏信仰事典シリ
ーズ10、戎光祥出版、2002、初出1962)。
松本隆信「祇園牛頭天王縁起について」(『中世における本地物の研究』汲古書院、
1996、初出1982)。
『小童村誌』(小童村誌編纂委員会、2002・5)。なお、甲奴町情報ホームページ(http://kounu.jp/guide/data/hichi-sonshi)に、同書の内容が紹介されています。
【パンフレット】
【須佐神社の写真】
【武塔神社】