一 須佐神社縁起 その1
*本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。
(前闕)
「 」の中國
(牛頭天王)
[ ]國こずてんのふ[ ]にあまつ
(伊弉諾) (さなみふたヵ)
[ ]七代に當て、いさなきい[ ]はしらの
尊を、中てん[ ]いこく、東王父天[ ]
(西王母天王)
せいをうぼてんのふと奉申、男[ ]事をかなしみ、かうすさんの[ ]
(無熱) (牛) (内)
むねちとて、なん河のしろ[ ]のうしの口よりいずる水をむすびあげ、な伊外清
(祇園精舎)
流しよう[ ]なへ、ぎおんしやうじやゑ行、いろ[ ]七日七夜
(滿) (示現)
まんずる夜、まんざ[ ]わると、じげんをかむり[ ]とまり王子一人も
(文字) (頭)
ふけ[ ]ちやうかう壹丈五尺、こしにとらといふもんじあり、かうへにいつつの
(牛) (面) (三) (御手)
うしをいたゝき、おもてみつ、御手わ六つ、左、第一おんてにわほこをもち、第二
(三) (瑠璃)(壺) (第)
の御手にわ弓を持、第⬜︎の手にわる利のつぼをもち、右、⬜︎一の御手にわ剣をもち、
(矢) (天王)
第二ノ手にわやを持、だいさんの手にハ四百四病をもち玉而、其時てんのふ御覧
(似) (畜生) (形) (言葉)
じて、大ニおとろき、人にわにず、ちくしやうのかたち成り、ふかうのことばをき
(御門) (海神)
かせよと宣ふ、さてみかとをたち出て、元のむねち江入給に依而、わたづみ⬜︎つの
(素戔嗚) (千年)
君共申、そさのをの尊共、こずてんのふ共申、それよりきゑ國にせんねん、それを
(兜率天) (三千年) (東天)
立出、大國に百年、とそつてんに八ねん、とせいてんにさんせんねん、とうてん、
(西) (北天) (須弥山) (埴安) (現)
さい天、ほくてん、中天のめぐり、しゆみせんに而、はにやすの尊地神とげんじて
(三百年)
さんびやくねん、みつばめの尊水神とけんじて五十年、れゐい國と申山に而、若君
(上天) (天)
をもうけ、世になき物とて許の天え帰り、十六ヶ国を廻り玉ふ、ちやうてん下てん
とうとはくさい國を廻り給て、大日本國江わたり玉ふ、
つづく
「書き下し文」(可能な限り漢字仮名交じりにしました)
(前闕)
「 」の中國[ ]牛頭天
王[ ]にあまつ[ ]七代に当たりて、伊弉諾・伊奘冉二柱の尊を、中て
ん[ ]いこく、東王父天王[ ]西王母天王と申し奉る、男[ ]事を悲
しみ、かうすさんの[ ]無熱とて、なん河のしろ[ ]の牛の口より出づる水を
結び上げ、内外清流しよう[ ]なへ、祇園精舎へ行き、いろ[ ]七日七夜満ず
る夜、まんざ[ ]わると、示現を蒙り[ ]とまり王子一人儲け[ ]長高一丈
五尺、腰に虎と言ふ文字あり、頭に五つの牛を戴き、面三つ、御手は六つ、左、第
一の御手には鉾を持ち、第二の御手には弓を持ち、第三の手には瑠璃の壺を持ち。
右、第一の御手には剣を持ち、第二の手には矢を持ち、第三の手には四百四病を持
ち玉ひて、其の時天王御覧じて、大いに驚き、人には似ず、畜生の形成り、不孝の
言葉を聞かせよと宣ふ、さて御門を立ち出でて、元のむねちへ入り給ふに依りて、
海神⬜︎つの君とも申し、素盞嗚尊とも、牛頭天王とも申す、それよりきえ国に千年、
それを立ち出で、大國に百年、兜率天に八年、とせいてんに三千年、東天、西天、
北天、中天のめぐり、須弥山にて、埴安の尊地神と現じて三百年、弥都波能売の尊
水神と現じて五十年、れえい國と申す山にて、若君を儲け、世に無き物とて許の天
へ帰り、十六ケ国を廻り玉ふ、上天下天唐土百済国を廻り給て、大日本国へ渡り玉
ふ、
つづく
「解釈」
(前半部分は解釈できませんでした)
王子を一人儲けた。背丈は一丈五尺(四・五メートル)、腰に虎という文字があった。頭に五つの牛をいただき、顔は三つ、御手は六つ、左の第一の御手には鉾を持ち、第二の御手には弓を持ち、第三の手には瑠璃の壺を持ち、右の第一の御手には剣を持ち、第二の手には矢を持ち、第三の手には四百四病をお持ちになっていた。その時に東王父天王・西王母天王は牛頭天王の姿をご覧になって、大いに驚き、「人には似ておらず、畜生の姿である。義絶の言葉を聞き入れてください」と仰った。王子はそのまま宮殿を出立して、もとの無熱天へお入りになったことによって、海神□つの君とも申し、素盞嗚尊とも、牛頭天王とも申した。それからきえ国に千年、そこを出立して、大国に百年、兜率天に八年、とせい天に三千年、東天、西天、北天、中天を巡り、須弥山で埴谷尊、土地の神として現れて三百年、弥都波能売尊、水神として現れて五十年、れえい国と申す山で若君を儲け、この世にないものとしてもとの天へ帰り、十六カ国を巡りなさった。上天・下天・中国・百済を廻りなさって、大日本国へお出でになった。
つづく
「注釈」
「東王父」
─陽の気の精とされる中国伝説上の仙人で、男の仙人を統べるもの。西王母と並び称され、詩題・画題として有名。東王公(『日本国語大辞典』)。
「西王母」
─中国、西方の崑崙山に住む神女の名。「山海経─西山経」によれば、人面・虎歯・豹尾・蓬髪とあるが、次第に美化されて「淮南子─覧冥訓」では不死の薬をもった仙女とされ、さらに周の穆王が西征してともに瑶池で遊んだといい(「列子─周穆王」「穆天子伝」)、長寿を願う漢の武帝が仙桃を与えられたという伝説ができ、寛大には西王母信仰が広く行われた(『日本国語大辞典』)。
「ふかうのことばをきかせよ」
─「小童祇園社由来拾遺伝」(『甲奴町誌』資料編一、一九八八)では、「不幸」と表記されていますが、「不孝」の可能性もあります。また「聞かす」には、「聞かせる」の意味だけでなく、「聞く」の尊敬語としての意味もあります(『古語大辞典』小学館)。断定はできませんが、ここでは「親子関係を断つという(義絶の)言葉を聞き入れてください」という意味で解釈しておきます。