周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

芸藩通志所収田所文書8

    八 平兼資解并安堵外題

 

      (外題)

      「如解状者尤國益也、任申請旨一色段別官米[    ]事

       者、[    ]事、併可停止之[   ]執次第也、早任

       四至相傳領掌之状如件、

                          目代[    ](花押)」

 

 田所大判官代散位平兼資解 申請[

  請殊爲國益能治裁判、開發常々荒冬原、令濟段別官米参斗

  代於國庫、欲上レ究[   ]下

         (万)

         ⬜︎(万)雜[  (公事)

    在安南郡

     一所 温科方冬原

       四至〈東限温科河 西依請濱 北限弥吉開發田 南限温科川依請〉

     一所 [

      四至〈東限大道 [   ] 北限弥冨領 南依請濱〉

     一所 府中北濱

                       (西依請濱ヵ)

      四至 〈東限久武領田并弥冨領大道 [    ] 北限弥冨領田并

          高岸 南限惣社正月一日田〉

 右、[  ]内、件所[ ]無主常々荒[  ]今、且⬜︎國[   ]免判語

 便冝土民開發、於正税官物者進濟段別官米参斗代、至田率雜事

 [  ]申分云[  ]役[ ]々伊勢御祈米[     ]停止之事是公平也、

 何不免判矣、望請任状被裁定者、成其男自今春[       ]

 四至、勒子細、以解、

     (1198)

     建久九年正月日

                田所大判官代散位平兼資

 

 「書き下し文」

      「解状のごとくんば尤も国益なり、申し請ふ旨に任せ一色段別官米

       [   ]事は、[   ]事、併しながら停止せしむべきの

       [   ]次第なり、早く四至に任せ相伝領掌せしむべきの状件の

       ごとし、

                          目代[    ](花押)」

 田所大判官代散位平兼資解し申し請ふ[

  殊に国益のため能く裁判を治め、常々荒れたる冬原を開発し、段別官米三斗代を国

  庫に弁済せしめ、[   ]究められんと欲せらるるを請ふ、

         万雑公事

   (四至は省略)

 右、[  ]内、件の所[ ]無主常々荒る[  ]今、且つがつ⬜︎国[   ]

 免判便宜の土民を語らひ開発せしめんと欲す、正税官物に於いては段別官米三斗代を

 進済す、田率雑事に至り[  ]申分云[  ]役[ ]々伊勢御祈米[    ]

 停止の事是れ公平なり、何ぞ免判を蒙らざるか、状に任せ裁定せらるるを望み請は

 ば、成其男自今春[    ]四至、子細を勒し、以て解す、

 

 「解釈」

      「解状によると、なるほど国の利益になるのである。願い出た趣旨のとおり、一色段別官米[    ]、ことごとく差し止めるべきである。早く四至のとおりに相伝領掌するべきである。」

 田所大判官代散位平兼資が願い申し出る[

  特に国の利益のために念入りに裁判を行い、常に荒れている冬原を開発し、段別三斗代の官米を国衙の蔵に進納させ、[   ]しようとすることをお願い申し上げる。

   (中略)

 右の冬原は、無主の地で普段から荒れている。[  ]都合のよい住人を説得して開発させようと思う。正税・官物については段別官米三斗代を進納する。田率雑事については、[  ]を差し止めることが公平である。どうして国司免判をいただかないのか。解状のとおりにご裁定になることをお願い申し上げる。[   ]事情を書き上げ、上申します。

 

*書き下し文・解釈ともに、よくわからないところが多いです。

 

 「注釈」

「一色」

 ─もと、ひとそろい、全部の意。ふつう田地には年貢(官物)と雑公事が賦課されるが、そのうちいずれかを免除され、一種類の課役のみ負うという意味。雑公事免除の場合が多い(『古文書古記録語辞典』)。

 

「冬原」

 ─温科村の字か。以下、『広島県の地名』温科村の項目を部分引用しておく。建久九年(1198)正月日付平兼資解(「芸藩通志」所収田所文書)に「一所温品科方冬原」とあり、この土地の四至は「東限温科河 西依請浜 北限弥吉開発田 南限温科川依請」と記す。平安・鎌倉時代の温科村には六三町八反一二〇歩の国衙領があり、うち五四町七反余が不輸免で(年欠「安芸国衙領注進状」田所文書)、厳島社以下諸社寺の免田や、在庁官人田所氏の私領(一〇町余)などがあった(正応二年正月二十三日付「沙弥某譲状」同文書)。また平安末期に後三条天皇が設定した安芸国新勅使田に含まれる部分もあったらしく、弘長三年(1263)安芸国新勅使田損得検注馬上帳案(東寺百合文書)などにある。「久曾田三反小」は寛永十五年(1638)温品村地詰帳(広島市公文書館蔵)に見える字名「くそた」にあたる。

 

「正税」

 ─律令制下、徴収した田租(穎稲)を正倉に収納するとこれを正税と称した。天平年間、各種の官稲が正税に一本化され、その出挙利稲が官衙の諸費用を賄うようになると、出挙本稲を正税というようになった(『古文書古記録語辞典』)。

 

「官物」

 ─令制下の租・庸・調・雑物など貢納物の総称。⑴平安中期以降の公領における貢納は官物と雑役であるが、田租と地子米をあわせて官物といい、また貢納物を官物と田率雑事に分ける。⑵平安後期には、官物と臨時雑役の体系にかわって国ごとに公田官物立法が定められた。保安三年(一一二二)伊賀国では、別符〜段別見米五斗、公田〜段別見米三斗・准米一斗七升二合・油一合・見稲一束・穎二束、院御荘出作田〜見米三斗・准米一斗七升二合・穎三束であった。⑶荘園における年貢所当のこと(『古文書古記録語辞典』)。

 

「田率雑事」

 ─田地の面積に応じて賦課される雑公事。田率は段別と同意。「率」は「そっする」で、割合、比率の意(『古文書古記録語辞典』)。