周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

呪いの遺言状

 寛喜三年(1231)二月一日条

       (『翻刻 明月記』3─325頁)

 

 二月

 一日戊午、  天晴、大風毎日

   (中略)

 午時許、漏刻博士泰俊朝臣来談之次、見故泰忠朝臣自筆処分遺言状、分与所領于

 三人養子〈貞光・忠光・」泰俊〉、各可懸養後家、違其状者、為悪魔可取殺由

 載之、貞光、去年不与其物、又破取堂廊文車宿等之間、十二月朔、成怨勘発之由

 有人夢、去正月八日俄死去、彼文書、泰俊可管領之由、書置之状也、事尤厳重、

 可怖事也〈貞光・忠光、同意背養母、」泰俊、守遺戒、致水菽志云々〉、

   (後略)

 

 「書き下し文」

 午の時ばかり、漏刻博士泰俊朝臣来談の次いでに、故泰忠朝臣自筆の処分(遺言)状を見る、所領を三人の養子〈貞光・忠光・泰俊〉に分与し、各々後家を懸け養ふべし、其の状に違はば、悪魔のため取り殺さるべき由之を載す、貞光、去年其の物を与えず、又堂廊・文車宿等を破り取るの間、十二月朔、怨み勘発を成すの由人の夢有り、去んぬる正月八日俄に死去す、彼の文書、泰俊管領すべきの由、書き置くの状なり、事尤も厳重なり、怖るべき事なり〈貞光・忠光、意を同じくして養母に背く、泰俊遺戒を守り、水菽の志を致すと云々〉、(後略)

 

 「解釈」

 午の時ごろに、漏刻博士安倍泰俊朝臣がやって来て話をしたついでに、亡くなった養父安倍泰忠自筆の処分(遺言)状を見た。「所領を三人の養子〈貞光・忠光・泰俊〉に分与し、それぞれ養母を養わなければならない。この遺言状に背くならば、悪魔に取り殺されるはずだ」と書き載せてある。貞光は去年所領を分け与えず、さらに登廊や文車宿等を壊したので、十二月朔日、安倍泰忠が貞光を怨み叱責している、とある人が夢を見た。去る正月八日、貞光は突然死んだ。この文書は泰俊が管理せよ、と書き残していた遺言状であった。この遺言は本当に厳格である。恐れなければならないことである。〈貞光と忠光は同心して養母に背いた。泰俊は遺戒を守り、貧しい生活をしながら、養母に孝行を尽くしたという。〉

 

 

「コメント」

 中世では普通、処分状・遺言状のことを「譲状」と呼びます。一般的には「兄弟相互に水魚の思ひを成し」のような表現を使って、仲良くするようにというメッセージを書き残すことが多いのですが、まさか「遺言に背いたら、悪魔に取り殺されるはずだ」という呪いの言葉を書き残すとは…。しかも、この遺言状は効果覿面でした。遺言を守らなかった養子の安倍貞光は、なんと突然死を遂げているのです。さすが陰陽師、さすが安倍晴明の子孫! 彼らの言葉には不可思議な力が宿るようです。