周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

土井泉神社文書2

    二 杉原次郎左衛門尉井尻又右衛門尉連署預ケ状

 

 (安藝安北郡

 飯室之内

 預ケ申神田之事

   合米三石八斗八升

    畠半三十歩代七十貳文

    屋敷一つ

 

  右之内にて米貳石立申候、

           (放生會)

    但貳俵者八月之法しやう江同よころ二まつり使之、貳俵者九月九日

     流鏑馬        (修理)

    御やふさめ、用之、壹俵はしゆりあてかひおく候、

     (1591)

     天正十九年

      十二月十四日      杉原次郎左衛門尉(花押)

                  井尻又右衛門尉(花押)

      物申神右衛門尉殿

 

 「書き下し文」(漢字仮名交じりにしました)

 飯室の内

 預け申す神田の事

   合わせて米三石八斗八升

    畠半三十歩代七十二文

    屋敷一つ

 

  右の内にて米二石立て申し候ふ、

    但し二俵は八月の放生会、同じくよころ二まつりニ之を使ふ、二俵は九月九日

    御流鏑馬ニ之を用ゐる、一俵は修理ニ充て行ひ置く候ふ、

 

 「解釈」

 飯室のうち、預け申す神田のこと。

   都合米三石八斗八升。

    畠半と三十歩(二一〇歩)の代七十二文。

    屋敷一つ。

 

  右の中から、米二石を差し出し申し上げます。

    ただし、二俵は八月の放生会、同じくよころ二祭でこの米を使う。二俵は九月九日の流鏑馬でこれを使う。一俵は修理に給与します。

 

 「注釈」

「飯室」─安北郡広島市安佐北区安佐町飯室を領域とする国衙領。当村は「安芸榑」

     で名高い国内有数の杣地域の一角を占めていた(『講座日本荘園史 中国地

     方の荘園』吉川弘文館、一九九九)。

「杉原次郎左衛門尉」─未詳。毛利の家臣か。

「井尻又右衛門尉」─毛利の家臣か(村井良介「芸備国衆家臣団一覧表」、

          https://core.ac.uk/download/pdf/35266460.pdf)。

「よころ二まつり」─未詳。

「九月九日」─重陽節句か。流鏑馬神事を行っていたようです。

「修理」─未詳。

「一俵」─差し出した米は二石で、それを合計五俵に分けて祭祀や給与分として使用し

     ています。したがって、この地域の一俵は四斗俵であったと考えられます。

「物申」─祝詞などを奏すること(『日本国語大辞典』)。祝詞の奏上を役目とする神

     職か。