周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

長生きは百文の徳 (Monetary value of longevity)

  文安六年(1449)五月二十六日条 (『康富記』3─12頁)

 

 廿六日乙巳 晴、或云、此廿日比、自若狭國、白比丘尼トテ、二百餘歳ノ比丘尼令上

 洛、諸人成奇異之思、仍守護召上歟、於二條東洞院北頬大地蔵堂、結鼠戸、人別取料

 足被一見云々、古老云、往年所聞之白比丘尼也云々、白髪之間白比丘尼ト號歟云々、

 官務行向見之云々、而不可然之由有巷説之間、今日下向若狭國云々、

 

 「書き下し文」

 二十六日乙巳 晴る、或るひと云く、此の二十日ごろ、若狭国より白比丘尼とて、二百余歳の比丘尼上洛せしむ、諸人奇異の思ひを成す、仍て守護召し上ぐるか、二条東洞院北頬大地蔵堂、鼠戸を結び、人別に料足を取り一見せらると云々、古老云く、往年聞く所の白比丘尼なりと云々、白髪の間白比丘尼と号すかと云々、官務行き向かひ之を見ると云々、而れども然るべからざるの由巷説有るの間、今日若狭国に下向すと云々、

 

 「解釈」

 二十六日乙巳、晴れ。ある人が言うには、この二十日ごろ、若狭国から白比丘尼といって、二百余歳の比丘尼が上洛した。さまざまな人々が不思議に思っていた。そこで、守護がお呼び寄せになったのか。二条東洞院北頬の大地蔵堂で、鼠木戸を造り、人別に料金を取り、見物させたそうだ。古老が言うには、昔に聞いた白比丘尼であるという。白髪であるから、白比丘尼と称しているのだろうという。官務大宮長興はそこに行き、この白比丘尼を見たそうだ。しかし、二百余歳を超えているはずはないという世間の噂があるので、今日白比丘尼若狭国へ下向したそうだ。

 

 May 26th, sunny. One person says that about 2 hundred years old nun named Shirabikuni came to Kyoto from Wakasa prefecture. Various people thought it was strange. It is said that Daizizoudou temple on the north side of Njo Higashinotouin made the door and allowed people who paid the fee to see. The elder says that she is Shirabikuni. Because she is gray-haired, she is probably known as Shirabikuni. Ohmiya Nagaoki went there and saw her. However, people rumored that they should not be over 200 years old, so she returned to Wakasa prefecture today.

 

 

 「注釈」

「守護」─若狭守護武田信賢。

 

「大地蔵堂

 ─瓦之町(中京区東洞院通二条下ル)付近にあったものと考えられます(『京都市の地名』)。

 

「官務」─大宮(小槻)長興。

 

 

*参考史料 宝徳元年(1449)七月二十六日条『臥雲日件録抜尤』(http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=096-0984&IMG_SIZE=1000%2C800&PROC_TYPE=ON&SHOMEI=臥雲日件録抜尤&REQUEST_MARK=&OWNER=&IMG_NO=47大喜直彦「寿命と死」(『中世びとの信仰社会史』法蔵館、2011)を参照しました。

 

 廿六日、赴清水定水庵点心、(中略)庵主曰、近時八百歳老尼、自若州入洛、々中争

 覩、堅閉所居門戸、不使者容易看、故貴者出百銭、賤者出十銭、不然則不得入門也、

  (後略)

 

 「書き下し文」

 二十六日、清水定水庵に赴き点心あり、(中略)庵主曰く、近時八百歳の老尼、若州

 より入洛、洛中争ひ覩る、堅く居る所の門戸を閉ざし、使者容易に看ず、故に貴者百

 銭を出だし、賤者十銭を出だす、然らずんば則ち門に入るを得ざるなり、

 

 「解釈」

 二十六日、清水に向かい、定水庵で昼食をとった。

  (中略)

 定水庵の庵主が言うには、近頃八百歳の老尼が若狭国から都にやってきた。洛中の人々は争って老尼を見ようとした。老尼の居るところの門戸を堅く閉ざし、使者は簡単に見ることができなかった。こういうわけで、身分の高い裕福なものは銭百文、身分の低い貧しいものは銭十文を出した。そうでなければ門内に入ることができないのである。

 

 The master of Johsuian temple says that an eight hundred-year-old nun came from Wakasa prefecture to Kyoto recently. The people in Kyoto raced to see her. The door of the house she was staying in was tightly closed and the messenger could not easily see her. So, well-placed wealthy people paid 10,000 yen and poor low-income people paid 1,000 yen to meet her.

 

 

 「注釈」

「定水庵」

 ─清水寺門前二町目にあったと考えられる寺院(「清水寺門前」『京都市の地名』)。

 

*今回の康富記の記事では二百歳、参考史料では八百歳と、老尼の年齢は異なりますが、2つの記事の時間差は2ヶ月です。常識を超えた年齢の人物が、同じ若狭国に二人いるとも思えないので、おそらく同一人物ついて記したものだと思います。噂に尾ひれがついて、年齢がいい加減に伝わったものと考えておきます。

 さて、この超人的な老尼を一目見ようと人々が押し寄せたのですが、簡単には会うことはできず、お金を払わなければ見物させてもらえませんでした。金持ちは100文(1万円ぐらいか)、貧乏人は10文(千円ぐらいか)と金額に差はありますが、当時は長寿で金が取れたようです。まるで、アイドルのライブに群がる現代人のようです。ただ超人的とはいえ、年老いたバァさんに会うためだけに払うには、ちと金額が高いような気もします。ですが、前掲大喜論文で指摘されているように、「長寿は神仏の加護の証であり、その人物に会って神仏の加護に触れようとした」のであれば、高くないのかもしれません。

 寿命や延命を神仏の計らいと考えなくなってしまった現代人である私は、たとえ100円であっても、長寿のバァさんをわざわざ見に行こうとは思いません。ここに中世人との大きな隔絶を感じてしまいます。現代人と比べて、命を軽んじていると評価されることもある中世人ですが、彼らも長生きはしたいようです。

 

 Well, people rushed to see this super-human nun at first glance, but it was not easy to meet and was not able to see it without paying the money. A rich man paid 10,000 yen and a poor man paid a thousand yen to meet her. In other words, in the Middle Ages, longevity seemed to have monetary value. It looks like a modern person who gathers at an idol's concert. However, according to the Ohgi dissertation, longevity is evidence that God and Buddha protect that person, and the medieval people tried to meet the person and touch God and Buddha's favor. If so, the cost may not be high.

 I do not consider longevity as a blessing of God or Buddha. So, even if the cost is ¥ 100, I do not think to go to see an old nun on purpose. I feel a big difference with the people of the Middle Ages on this point. It is thought that medieval people feel at life lightly compared with modern people, but they also want to live longer.

 (I used Google Translate.)

 

 

*2022.3.31追記

 小松和彦酒呑童子の首」(『鬼と日本人』角川文庫、2018年、79・92・96頁)によると、大江山酒呑童子説話には酒呑童子にさらわれて、鬼の世界で200年を超えて暮らしている老婆が登場するそうです。こうした設定から小松氏は、鬼の世界や龍宮の世界、つまり異界では、人間の世界よりもゆっくりと時間が流れているとする考え方があったことを指摘されています。この指摘を踏まえると、今回登場した老尼も、神仏の加護を得た幸せな長寿者ではなく、異界を旅してきた珍しい人物として注目されていたのかもしれません。

 

*2022.4.14追記

 長寿史料を見つけたので、掲載しておきます。通常ではあり得ない長寿を珍しいとは思いつつも、そうした長寿を事実とみなしていたのが中世びとのようです。

 

  長享二年(1488)三月九日条 (『大乗院寺社雑事記』9─207頁)

 

    九日

     (中略)

 一青松院ニ行向色々物語、二百歳計人也、尊氏在所以来事語之、

 

 「書き下し文」

 一つ、青松院に行き向かひ色々物語る、二百歳ばかりの人なり、尊氏在る所以来の事之を語る、

 

 「解釈」

 一つ、青松院に出かけ、いろいろと話をした。二百歳ぐらいの人である。足利尊氏が生きていた頃からのことを語った。