周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

千葉文書4

    四 小早川氏奉行人連署書状

 

 (端裏捻封ウハ書)             (景道)

 「                 磯兼左近大夫

                   井上又右衛門尉

       神保五郎殿 まいる          春忠」

                 賀茂郡

 貴所御愁訴之儀、遂披露候、於黒瀬表先五貫文可御扶助候、在所

 之儀可御賦候、恐々謹言、

       二月十日          春忠(花押)

                     景道(花押)

 

 「書き下し文」

 貴所御愁訴の儀、披露を遂げ候ふ、黒瀬表に於いて先ず五貫文御扶助を成さるべく候

 ふ、在所の儀御賦りに任せらるべく候ふ、恐々謹言、

 

 「解釈」

 あなた様のご愁訴の件を披露しました。黒瀬表でまず五貫文の地をご助成になる(給与なさる)はずです。在所の件については、賦奉行にお任せになるのがよいです。以上、謹んで申し上げます。

 

 「注釈」

「黒瀬表」─黒瀬郷。「芸藩通志」によると、現黒瀬町に含まれる十六ヶ村と、北東に

      続く現東広島市域の馬木村、西南に続く現呉市域の郷原村を含めた十八ヶ

      村を黒瀬郷としている。正応二年(一二八九)正月二十三日付の沙弥某譲

      状(田所文書)に「惣社二季御神楽料田畠栗⬜︎⬜︎事」として「栗林二丁内

      黒瀬村五反 杣村一丁五反」とみえる。大永三年(一五二三)八月十日付

      の安芸東西条所々知行注文(平賀家文書)には「黒瀬 三百貫 大内方諸

      給人」「黒瀬乃美尾 百貫金蔵寺領とあり、黒瀬が東西条に含まれてお

      り、のちの乃美尾村を含む広域の地名であったらしことがわかる(『広島

      県の地名』平凡社)。

「賦」─鎌倉幕府の所領についての訴訟手続で、訴人が提出した訴状を受理する役所

    (所務賦)。またその訴状を一方の引付方(ひきつけがた)に配ること、およ

    びその役人(賦奉行)をいう(『日本国語大辞典』)。