十四 僧鏡賢譲状
(端裏書)
「楽音寺西方譲状 □□□僧鏡賢」
譲与 楽音寺西方寺務職三分二事
僧頼真所
右於二寺務職一者、依レ為二師資相承之職一、鏡賢令二伝領一地也、而間弟子頼真仁
三分二相二副手継文書等一所レ令二譲与一也、於二有レ限寺役等一者守二三分一三分二
旨一、可レ勤二其役一者也、但至二恒例之行法一者、無二懈怠一可レ遂二其節一、仍為二
後日亀鏡一譲与状如レ件、
(1384)
至徳元年〈甲子〉十二月一日 僧鏡賢
○以上、一四通ヲ一巻ニ収ム
「書き下し文」
譲与する 楽音寺西方寺務職三分の二の事
僧頼信の所
右寺務職に於いては、師資相承の職たるにより、鏡賢伝領せしむる地なり、而る間弟子頼信に三文の二を手継文書等を相副へ譲与せしむる所なり、限り有る寺役等に於いては三分の一・三文の二の旨を守り、其の役を勤むべき者なり、但し恒例の行法に至りては、懈怠無く其の節を遂ぐべし、仍て後日の亀鏡の為譲与状件のごとし、
「解釈」
僧頼信に譲与する、楽音寺西方寺務職三分の二のこと。
右の寺務職は、師資相伝の職であることにより、鏡賢が伝領した地である。そうしているうちに、手継文書等を副えて、弟子頼信に三文の二を譲与するところである。重要な寺役等については、三分の一・三文の二の取り決めを守り、その寺役を勤めなければならないのである。ただし恒例の修法に至っては、怠けることなくその修法を遂行しなさい。よって、後日の証拠のため、譲状は以上のとおりである。