周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

中世の身分制

 高橋昌明『中世史の理論と方法 ─日本封建社会・身分制・社会史』

       (校倉書房、1997年)

 

*単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。

 また、誤字・脱字の訂正もしていません。

 

Ⅰ  日本中世社会と身分制

 四 中世の身分制

 

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 身分とは、社会ことに前近代諸社会に存在する各種自律的集団・社会組織の存立とかかわって、その内部に形成される多少とも永続的な人間の類別─不必要な部分の集団外への放逐も含めた─であり、類別は上・下に序列化されることが一般的である。類別、序列の永続化・固定化に一定の役割を果たすものが、それら諸集団(組織)の内部を律する諸規範(掟・法)であるため、身分は発達した形態では法制的関係としてもあらわれるが、その成立の真の根拠は、法の場合と同様集団自体のうちにある(大山喬平「中世の身分制と国家」、矢木明夫『身分の社会史』)。

 以上のことからして、人の身分は彼の所属集団自身によって決定せられた。人はまた、彼の身分に応じて集団(組織)に対する諸役(義務)を負い、具体的な権利の主張を認められる。義務を遂行せず、集団の秩序を破壊することは、身分の放棄・剥奪につながる一方、権利の享受およびより上位身分への上昇の裏付けとなるものは、主として彼の実力であった。

 

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 日本中世の社会において、今日我々が身分と呼ぶところのもは、分・分際・分限・品・種姓(しゅしょう)・種などという語で呼ばれていたらしい。当時、身分を生み出す主要な自律的集団・社会諸組織として、およそ以下のものが見られた。

 

(イ)社会単位としてのイヘ(家)─典型的には農民・在地領主のイヘ。

(ロ)族縁的集団─一類・一家・惣領制的武士団・党・一族一揆など。

(ハ)地縁的・職能的に形成された共同団体─ムラ(村)・チョウ(町)・国人一揆国一揆・商工業者の座など。

(ニ)権門勢家とその家産的支配体制─王家・摂関家・幕府・大寺社など。

(ホ)日本国全体。

 

(ロ)は(イ)の展開形態、(ハ)は(イ)の横の連合である。(ニ)は大寺院の場合を一応除くと、他は(イ)・(ロ)・(ハ)を包括する極度に拡大された擬制的な大イヘ、実体としては多くの場合上位のイヘと下位のイヘの縦の連合形態(社会組織)である。

 このように、個人ではなくイヘが各種集団の基礎単位であるのは、中世においては個々の人間が通例イヘと一体化しており、言ってみれば、人格化されたイエだからで、近代的意味でのたんなる個人ではなかったからである(黒田俊雄「中世における個人と『いえ』」)。

 

 →個人として振る舞っているように見えるが、その行動原理にその人が属している集団の利害が強く影響していたり、他者からの認識のされ方として、個人の前に、所属集団の身分・階層が強く現れるということか。

 

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 集団・組織内に人間(イヘ)の類別を生み出す契機、すなわち集団・組織の維持(統合)・発展・拡大の契機であり、それを通して身分を成立せしめる契機となるものは、各種の分業、支配─被支配の関係、管理能力をそなえた集団上層の形成と再生産、イデオロギーほかである。

 分業には大別して、各種自律集団内にみられる「自然発生的分業」─性別・年齢別等の「純粋に生理的な基礎の上」に発生する分業(マルクス資本論』)─と、社会的分業─「もとから違っているが互いに依存し合ってはいない諸生産部面のあいだの交換によって成立する分業(同右)─がある・支配─被支配の関係は、土地支配を媒介として成立する人間支配と、人間支配そのものが先行する関係の両局面を含む(これも主従関係と所管─被官関係に分かれる)。内容的には必ずしも、単純な搾取─収奪の関係に限定されることなく。贈与─返礼の互酬的な関係、保護─被保護の関係をともなうことが多い。集団の上層は、ムラやチョウなど下位の集団にもみられるけれど、もっとも発達したかたちは、いうまでもなく日本国における国家機構、中央・地方の行政にかかわるそれである。

 

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 だから、ムラ仕事や共同の負担によって維持された生産諸条件(灌漑水利や山野)も、用益にあたっては、住人(成員)の優越的・特権的占取と、間人(準成員)らのこられ諸条件からの一定の排除、という冷厳な現実が串貫していた。

 ムラでは、村内の神社・堂・寺院の仏事祭礼を遂行するため、祭祀組織たる宮座がつくられた。これらは構成員の同席による地縁的な共同組織であり、惣の母体にもなるという意味で、中世のムラ共同体の中核をなした。宮座には座入りの資格が有力住人に限定されるものと、間人も含めて広く開かれた村座の形態をとるものがあった(肥後和男『宮座の研究』)。今堀郷のように、間人の宮座出仕が認められても、同時に座入りした一般の村人より﨟次で三歳の格差がつけられたり、末席の新座の者は惣並の意見が禁じられる場合も珍しくなかった(仲村研『中世惣村史の研究』)。

 

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 第二は、平民が荘園公領制下の被支配身分の基本だという点である。平民は年貢と公事、とくにくじを負担する義務を負った。公事の負担は、荘園領主国衙にたいする、彼らの人格的「自由」や自立性を基礎づけるものと観念され、その意味において、むしろ彼らの特権・権利とでもいうべきものであった(網野善彦『日本中世の民衆像』)。

 

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 このイヘの社会的な格づけ=家格とかかわって成立する身分系列が、ハインリッヒ・ミッタイスのいう出生身分である。人間に生得的区分のみならず生得的不平等をもたらす出生身分こそ、常識的な意味でもっとも身分らしい身分であろう。「各人はその生まれに応じて、他人の上位仲間となりまた下位仲間となる」のである(『ドイツ法制史概説』)。

 

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 社会的分業が家業=イヘの職能として固定する時、身分の一類型が生まれる。ふたたびミッタイスにならって右の類型を、職業身分と呼ぶことにしたい。

 権門の職能的分類である公家・武家・寺家・社家を一応別格とすれば、日本中世の職業身分の大枠は、(イ)文士・武士、(ロ)農人、(ハ)道々の細工、の三つに分類される。

 

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 彼ら(道々の輩)の中には、積極的に家業というよりは、エタのように社会からドロップ・アウトした弱者が、劣弱な立場ゆえに、特定の卑賤・不浄視されてゆく職業に固定的にかかわらざるを得なくなった婆も、少なくないと判断される。山水河原者に「屠家に生まれる」という自己認識があったことは(『鹿苑日録』延徳元年六月五日条)、イヘと無縁であったはずの彼らの意識の中にさえ、歪んだ社会的分業観にもとづく家業・家職の観念がおしよしせていたことを示す(彼らの中に擬似的なイヘを形成するものが生じたことは否定しえない。かかる被差別民こそ、大山喬平氏の「凡下百姓の特殊形態」という規定[前掲論文]が適合する。

 

P141

 身分は、各種自律的集団・諸組織の存立とかかわって形成されるため、それなりの社会的な現実性と「合理」性をそなえていた。一方これら集団(組織)が搾取と収奪をうちにともなう組織体でもある場合、身分が表現する人間の序列や分業関係は、同時にこの搾取関係を維持固定するための手段として、また経済外強制そのものとして機能せざるを得ない。

 この時身分は、成立の経緯や、存在の現実性から離れて独り歩きしはじめ、逆に支配・差別・搾取などを当然視させ合理化するところの根拠と化す。諸身分がこのような機能を有するにいたる過程で、大きな役割を果たすのはイデオロギーであろう。というより、身分と身分発生の契機の因果連関を、観念的に逆転させてとらえ、上・下の身分にあるがゆえに支配・被支配の関係が成立し、尊貴・卑賤の身分に生まれたがゆえに差別・被差別が生じると説明する、意識・無意識を問わない倒錯した虚偽の観念そのものが、すでにして一個のイデオロギーないしイデオロギーの萌芽である。

 

 →国家全体の序列というよりも、集団内の序列の厳しさの方が、日常的であるがゆえに恥を生み出しやすかったのではないか。

 

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 イデオロギー的な身分も含め、いったん全社会的に、確固たる身分制が成立すると、身分は不可避的に、可視的・明示的な表現を随伴せざるを得ない。前近代における人と人の関係は、当然に身分人と身分人、または身分人と身分人たり得ないなもの(身分人たり得ないというのも、結局そのような特殊な身分人ということであるが)の関係であるから、社会生活をつづけてゆく以上、人はいついかなるところにあって、自他の身分上の位置関係を確認し、それぞれの分に応じたふるまいをせねばならないからである。

 

 →個人が先立つのではなく、その身分としてふさわしいふるまいをすることが大切にされ、要求される社会。男は男らしく、女は女らしく、白人は白人らしく、黒人は黒人らしく、アジア系はアジア系らしく、ということか。

 

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 立烏帽子・風折烏帽子・平礼烏帽子(ひれ)・折烏帽子・萎烏帽子など各種の烏帽子があり、それぞれ殿上人・地下・従者・武士・衆庶の料として用いられたという。

 人ナラヌモノとしての童や非人の外見が、無帽・覆面と童髪・蓬髪であったことも、自然に理解し得よう。

 

 →自分より身分の低い者に対しては、身分秩序の可視的表現は、いわゆる徽章のようなものになるだろうが、自分より身分の高い者に対しては烙印となり、慢性的な恥の原因となるのではないか。M・ルイス『恥の心理学』。子どもは「人ナラヌモノ」。

 

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 もちろん、過差禁令がしばしば出されるのは、服装規定によって示される身分秩序が、決して安定したものではなく、たえず無視・否定の動向に脅かされていることを意味する。禁制の贅沢な衣装を身にまとうかと思えば、「あるいは裸行、腰に紅衣を巻き、あるいは放髻、頂に田笠を戴」(『洛陽田楽記』)く異形の振舞におよんだ、永長の大田楽のように、いったん、民衆運動の大きな高揚がおこると、国家の身分秩序は一時的に麻痺されられた。

 

 →厳格な身分秩序の中にいるからこそ、そのストレスによって大田楽が起こったのではないか。祭りは本来、そうしたストレス解消の意味合いもあったのかもしれない。宗教的ファナティシズム

 

P153

 以上述べてきたことを総括すると、南北朝期を画期とする身分体系の変貌は、大別して、

⑴下位身分にある者の上位身分への直接的な上昇。

⑵ある身分の中心・上層をなした実体の上昇離脱の結果、同じ身分呼称の下落・卑賤化の進行。

⑶出生身分の職業身分化、社会的分業の進展による商人の独立。

の三つの傾向を示しながら進んだといってよい。

 

 ⑴は、まさに中世後期の〝下剋上〟の動向を直接表現するものである。そして、このたえざる下剋上現象こそ、中世後期の身分制をついに体系的・固定的たらしめなかった最大の要因であった。

 これにたいして⑶の傾向は⑵とあいまって、士・農・工・商を大枠とする近世的身分制の成立へと、遥かに連続するものといえるであろう。

 

 →身分体系は変貌していったが、上昇する人間もその身分制に依存している以上、新たな差別を受けることになる。

 たとえば、百姓が侍身分に上昇した場合、その人物は百姓身分を卑賤視するだろうが、同時に最下層の侍身分として本来の侍身分からは卑賤視されることになる。結局のところ、上昇しても、身分社会のなかで生きている以上、恥から逃れることはできない、ということ。

 

 

付論1 「中世の身分制」執筆にあたって力点をおいたこと

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 ある個人が自らの身分を維持するにあたって、もっとも拠りどころとなるものは法でも制度でもない(法や制度は補助的な役割を果たすことができるだけである)。前近代社会─中世社会において典型的─にあっては、権利は現実的な支配を欠いたただの抽象的な権原ではない(観念的な権利を主張するだけで、国家・共同体によってそれを保護してもらえる近代社会とは違う)から、自らの権利や立場をまもるためには、当事者主義的性格に彩られれたながながしい訴訟、またはそれ以外のなんらかの実力行使によらねばならない、というあの原則(自力救済の原則)が貫徹している(もちろん近代社会も、強力な国家機関の存在を前提とした、別の実力主義的な競争社会であるが)。

 身分が権利や立場や序列上の位置の主張・享受である以上、これもまた当然同じ原則の支配下にある。このことは中世では、実力の有無によって、身分間移動(より上位の身分への上昇・下位身分への下落)が比較的容易に起こったということでもある。そして、下位身分出身者の流入が進行すればするほど、その流入を受けた上位身分の下落・卑賤化が進む。歴史の展開とともに身分の下落現象が起こるのは、一種の法則的な傾向である。

 なお、近年日本文化論などで、日本社会の特徴の一つとして、階層間移動が容易であることが指摘されている。真偽のほどがまず問題であろうが、仮にそういうことがいえるとすれば、日本封建制の特質論とも関連する問題であろうし、身分論の立場からも、慎重に検討してみる必要がある。

 

 →鎌倉時代西園寺家室町時代の日野裏松家などが、序列の厳格な公家に社会にあっても起きた身分間上昇の1つと言える。

 下落現象の事例は、職人や下人のこと。

 かりに階層間移動がしやすかったとしても、それでも身分秩序(上下関係)が厳格に存在していることが、恥を考えるうえでは最も大事。

 

P164

 このことは、中世の苛烈な生活諸条件のもとにあった集団が、自己維持をはかろうとすれば、それらの社会的弱者を切り捨てることも決して不思議ではない。つまり、差別にもそれなりの根拠と合理性があるということになる。

 以上が差別を合理化しようとしての言説ではないことは言うまでもない。むしろ、このことを通して、最近プラスメリットをもつものとして強く喧伝されている、日本社会における「集団主義」が、差別や排他的措置をたえず生みだしている現実を指弾し、近代社会の理念たる自然権思想・基本的人権論の、あらゆる人間は生まれながらにして存在の価値をもっており、等しく犯すことのできない固有の権利をもつという主張の、画期的な意味を確認したいと思っているのである。

 

 →非人は集団から排斥された存在で、非成員。下人はイヘ集団の準成員。間人はムラの準成員。

 

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 四で述べた自力救済、実力主義が原則の社会では、躍動的な個性、致富の才能、武的能力、旺盛な闘争心・競争心等を必須とするが、それは健康・境涯等の不幸・不運に容易に左右される。また、このような競争原理の支配する社会は、直接競争に役立たないその他の多面的な人間的諸能力の豊かな発達・開花を阻害するから、真の意味での人間的実力・能力が発揮されるようなことはありえず。実力主義の反対物を不断にうみだす。実力主義は身分的な流動と固定をともども作り出すのである。

 今日の日本において「自力・自助」ということが声高に主張されているのは、国民の側において、基本的人権意識の空洞化・形骸化という事態が進行していることとも関係があろうが、歴史的には前近代の野蛮への回帰であり、現実には弱者切り捨ての体制化にほかならない。それは、必ずあらたな差別を生みださざるを得ない。

 

 →現代の自己責任社会がまさにそう。M・ルイスの分析が思い出される。これはブルデューや小坂井とも同じ発想。東島が現代と中世にアナロジーを感じたもの納得。歴史学者による優れた現代社会批判。現代のアメリカ社会の姿を見事に表現した言説であり、これが中世社会の姿でもある。つまり中世は、症状的には、現代日本よりも現代アメリカに近いのではないか。

 ブルデュー・小坂井の論点にもあったように、生活習慣や嗜好、教育指針などによる階層の違いも、歴史分析の中に取り入れることはできないか。これが判明すれば、下位階層がなぜ再生産されつづけるのか、上位階層の優位な状況がどうして再生産されつづけるのか、その心理的な面も明らかにできる。フーコーも同じことを言っていた。帝王学ではないが、特権的な階層による知の独占が、反対に下位階層を永続的に下位階層にさせる。百姓は勉強しなくてよい、女は大学に行く必要はないなどという発想に従うことは、上位階層の思う壺。被支配者は馬鹿であればあるほどよい。

 経済至上主義の再生産が、一部の富裕層と、大多数の貧困層という階級を生み出し、富裕層が捏造した(本人たちは捏造とは思ってない可能性がある)自由や自己責任というロジックがその階級差を再生産し、のちの世代へと固定化し、差別を生み出しているのが現代社会。

 

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 本稿執筆にあたり、あれこれ思考を重ねた結果、前近代社会理解においても、やはり階級の存在を前提にする必要があるという一応の結論のようなものを得た。

 ただし、その場合一に述べたように、実体的な集団としての階級を想定しようというのではなく、社会諸関係・諸現象の理性的な分析(抽象・捨象)の結果得られる概念(階級概念)として、大いに有効であるとの立場に立つ。

 中世に実在する序列化をともなう人間の類別は、階級ではなくあくまでも身分である。というより近代においても、階級は一個の概念なのである。実在するのはただ個々の労働者であり資本家であって、それが集団化されたものが即階級であるわけではない。したがって、現実社会に存在する諸身分は決して本質たる階級のたんなる影のごときものではなく、両者は本来別個・別次元のものである。諸身分はそれぞれに実在的であり、その成立のたしかな根拠をもっている。

 中世に存在する諸身分、とくに全社会的な規模で成立・展開していた身分のうち、出生身分・職業身分─この両身分類型はミッタイスのみならずマックス・ウェーバーによっても使用されている。彼は次のようにいう。「身分は次のようにして成立しうる。すなわち、⒜第一次的には、独自の身分的生活様式を通じて、その中でもとりわけ職業の性質を通じて(生活様式的身分ないしは職業身分)、⒝第二次的には世襲カリスマ的に、身分的出自にもとづく効果的な威信要求を通じて(出生身分)、⒞政治的または教権的なヘル権力を独占物として身分的に占有することを通じて(政治的ないしは教権的身分)」(『支配の諸類型』創文社、一九七〇年、二一六頁)─が階級と対応していると考える。

 これら身分がイヘの社会的格付けおよびイヘの職能に由来し、イヘには施設・家産のかたちで生産手段が含み込まれているからである。前二者とは異なり、帰属身分はイヘとイヘの縦の結合(下人の一部はイヘを形成しないが)の状態をあらわすものであり、そのままでは、直ちに彼の属する社会的な階層・ランクを表現しないから、直接には階級と対応しない(下人の場合、奴隷と農奴の両者を含むのはこのためである。安良城氏の、奴隷と農奴をともに表示するそんなヌエ的な身分があるかという論難は、帰属身分という身分の一類型の正確に対する無理解からもきている)。そして、成層区分という点では、もちろん出生身分がより重要である。

 

 →階級概念は、われわれ現代人が当該機の社会を、経済的な視点から理解しやすくするための分析概念(見方)だということ。身分の高い貧乏人(階級が低い)がいれば、身分の低い金持ち(階級が高い)もいる。

 

P168 八 「もう一つの中世社会」たる寺院ない身分を、全体社会のなかで位置づける

 寺院を世俗社会から切り離し、主に民衆の解放の場であるかのように説く傾向があるが、問題である。寺院はまさに世俗同様支配隷属と差別にみちた社会であった。

 

  九 身分の可視的標識(記号としての)をとりあげる

 ただし、この点では、まったく初歩的なところにとどまり、決して十分な指摘をなし得ていない。色を問題にするとしても、たんにいかなる色彩であったかだけではなく、その色に託された中世に生きる人々の感性や秩序感覚、浄不浄観、死生観等までふみこむ必要があっただろう。たとえば、癩者の柿色の衣にしても、当時柿が暗示連想させた観念が問題になろう。

 この点で、現行の民俗には示唆的なものが含まれている。すなわちカキの実は霊魂と関係があると見られ、長野県東筑摩郡では、人魂は生前に住んでいた家のカキの木にきてよりつくといい、オバケもヤナギではなくカキの木の下に出現するという。人魂を意味するテンビ、テンピが熟柿をさすところもある。カキの木は折れやすく死と関係のある伝承が多い。カキの結実は食べる夢をみても葬式の知らせがあるという。カキの木は念珠や火葬用の薪としても使われ、普通の日にカキの木を炊くことは忌まれたという(飯島吉晴「柿」『平凡社大百科事典』第三巻、一九八四年)。このような民俗的観念が中世にさかのぼるか否か大いに興味のあるところであるが、もしそうであることが証明されたら、癩者の柿色の衣は葬儀との密接な連関で説明され得るであろう(もちろん、柿の不浄性が癩者の柿色の衣からきたという可能性も考えておかなければなるまいが)。