周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

洞雲寺文書(完)

洞雲寺文書13

一三 友田興藤寄進状 天倫妙地妙蔵爲二茶湯免一、吉木庄之内仁下地貳段、末代奉三寄二附之一訖、毎日 可レ預二御廻向一者也、仍寄進状如レ件、 (1536) 天文五年申丙八月十日 前上野介興藤(花押) (宗春) 進上 洞雲寺天庵東堂 衣鉢閣下 「書き下し文」 …

洞雲寺文書12

一二 友田廣就安堵状 當社領佐西郡平良庄内洞雲寺領、諸役等免除之儀、前々云二判形之筋目一、殊 (友田) 興藤被レ進二一行一上者、不レ可レ有二相違一之状如レ件、 (1530) 享禄三年三月一日 廣就(花押) 洞雲寺 長老(當住春公)禅師 「書き下し文」 當社…

洞雲寺文書11

一一 友田興藤書下 圓満寺堤之前新堤被レ築、於二成就一者、為二末代一肝要存候、然者重而以二一行一 可二申合一候条、令二省略一候、 二月廿日 興藤(花押) 洞雲寺 衣鉢閣下 「書き下し文」 圓満寺堤の前に新堤を築かる、成就に於いては、末代の為肝要に存…

洞雲寺文書10

一〇 友田興藤安堵状 當社領佐西郡平良庄之内洞雲寺領、基者圓満寺并薬師寺両所之分也坪付在別紙之、叔 (用兼) 父下野守教親其子掃部頭宗親、金岡和尚江令二書進一、任二一行之旨一令三免二除諸役 等一訖、任二先規一云二寺家一云二寺領一、執務不レ可レ有…

洞雲寺文書9

九 友田興藤寄進状 東光寺住持椿蔵主死去之砌、貴寺奉レ憑之由蒙レ仰候、得二其意一候、然間爲二新寄 進一相二除諸天役并段銭等一進置候者也、仍状如レ件、 (異筆)「享禄貳己丑」 三月廿四日 興藤(花押) 進上 (割書)「洞雲寺天庵和尚」 衣鉢閣下 (宗…

洞雲寺文書8

八 大内義興書状 (興兼) 御使僧殊 一柄十帖拜受祝着之至候、猶弘中々務丞可レ申候、恐惶謹言、 (朱印) (朱印) 十二月十二日 左京大夫義興(花押) (朱印) 謹上 洞雲寺 衣鉢閣下 ○朱印三ツ字面上ニアリ 「書き下し文」 御使僧殊に一柄十帖拜受祝着の…

洞雲寺文書7

七 胤貞書状 (行延)(秀盛) 尊書謹而致二拜見一候、仍就二當寺領之儀一、小幡己斐両人江奉書慥給置候、急度付遣 自レ是可二申上一候、兼又不レ寄レ存候百疋被二送下一候、忝候、雖レ然御煩之至無二 勿体一之条、斟酌雖二無極候一、尊意之儀候間、先以應レ…

洞雲寺文書6

六 胤貞書状 (洞雲寺興雲) 住持 宗繁(花押) 尊書誠以忝畏入存候、抑對二當寺一 御判物爲二拜見一被レ懸二御意一候、謹而令レ 存二其旨一候、諸役等御免許之儀、御本意之至候、於二我等一茂珍重候、就レ中御茶 十袋不レ始二于今一御芳情候無二勿躰一候、…

洞雲寺文書5

五 大内義興安堵状 安芸国佐西郡佐方村洞雲寺領、元圓満寺薬師寺両寺分坪付在別紙之事、任二先規之 旨一諸役等所二免除一也者、早守二先例一云二寺家一云二寺領一、執務領掌不レ可レ有二 相違一之状如レ件、 (1521) 永正十八年三月十一日 左京大夫(花押)…

洞雲寺文書4

四 大内氏奉行人連署書状 御寺領唐臼名事、小幡民部少輔押置之次第不レ可レ然之旨被二仰付一、應二 御下 知一候、還補之請状封レ裏進レ之候、仍惣御寺領目録裏封同前候、公役寺役等事無二 懈怠一候者、肝要之由候、恐々謹言、 (異筆)「永正十七庚辰」 神代…

洞雲寺文書3

三 小幡興行請文 (興雲) 圓満寺事、如二前々一洞雲寺對二當住宗繁長老一可二打渡一之旨被二仰出一候、可レ 奉レ任二御下知一候、近年押置候、子細委細申候、非二別儀一候、以二御意得一御披露 所レ仰候、恐々謹言、 小幡民部少輔 九月廿日 興行(花押) 弘…

洞雲寺文書2

二 厳島社神主教文(教親)寄進状 奉二寄進一下地之事 (安芸佐西郡) 右彼下地者、千同之内印蔵四百田五段反銭共、爲二圓満寺本尊阿弥陀佛餉免一奉二寄 (マ丶) 進一候、祈二今度之當病平喩一者也、仍支證如レ件、 (1504) 永正元年子甲十二月十五日 下野…

洞雲寺文書1

【洞雲寺文書】 解題 この寺は厳島神主で桜尾城主の藤原教親・宗親親子によって長享元年(一四八七)に菩提寺として創建された。この寺の開祖として迎えられたのは大内氏の重臣陶氏の菩提寺である曹洞宗の周防龍文寺の僧金岡用兼(きんこうようけん)である…