十二 賢阿譲状
譲与 梨子羽郷南方弁海名内田畠林屋敷并下人雑具等事
合 左衛門五郎
一所田四段 〈額坪大道ヨリ上」弥六作まて〉
一所田貳段 横田
一所田参段 羽坂地頭御門田五段内 上ノヨリ
一神田内自屋敷前助太郎作ノ上まて三とほり
但三分二定
一助太郎作分田五段〈坪ハ家前二段 尾原貳段」大歳田大 けんちやうかいち
壹段〉
一同人作人畠山畠并麻畠以下悉可レ為二左衛門五郎管領之内一者也、
一同人林家奥風呂奥ク上同前、
一一所本屋敷上 西ハ藤内入道野畠をかきる 北ハ当時左衛門五郎居住の家の上
をかきる、
一畠一所御宮前小畠等 一畠一所いほりの迫
一畠一所〈アツヽ原」但半分宛〉 付堀田但半分宛
「
(後闕)
○本文書ハ蟇沼寺文書十三号ノ前半部分トミナサル
*そのまま『蟇沼寺文書』十三号文書を載せておきます。
十三 賢阿譲状
(前闕)
「
(弥ヵ)
一畠一所□二郎作 一畠一所ミや木野か作
一林一所〈アツし原」但半分宛〉 但公方之所当ニ宛也、又桑代拾貳文宛、
うとし
一中四郎屋敷畠 此所当者毎年上貳斗文料貳舛也
一林一所〈神の迫」半分宛〉 但両人寄合て別合て無二勝劣一もたるへし、
一小林一所 一佃尾八十歩文書面小内
一内検文書之時追損大追損壹匁同
一赤筆者毎年坪々ニ文書之時被レ置之上者不レ及二注置一者也、
一下人一人右近殿 一右写一 又取人一 又小つほ一
一鑵子一 一葉茶つほ一
一な畠三分二但下のより又ならひの藤九郎か作の畠
右件田畠林以下并雑具等所レ令二譲与一也、兄弟相互儀水魚之思不レ可レ有二威儀一
者也、若又背二彼遺命一或致二違乱一或企二濫訴一者、雖レ為二親子一雖レ為二庶子一
不レ云二是非之理一、可レ為二不孝之仁一上者、雖レ為二段歩一彼田畠等不レ可レ
有二其望一者也、仍為二後日亀鏡一譲与状如レ件、
(1360)
延文五年〈庚子〉十月八日八日 賢阿(花押)
○本書ハ、東禅寺文書十二号ノ後半部分トミナサル
*割書とその改行は〈 」 〉で記載しています。
「書き下し文」
譲与する、梨子羽郷南方弁海名内田畠林屋敷并下人雑具等の事
合わせて左衛門五郎
(中略)
右件の田畠・林以下并びに雑具等を譲与せしむる所なり、兄弟相互の儀水魚の思ひ異儀有るべからざる者なり、若し又彼の遺命に背き、或いは違乱致し、或いは濫訴を企てば、親子たりと雖も、庶子たりと雖も、是非の理を云はず、不孝の仁たるべき上は、段歩たりと雖も、彼の田畠等其の望み有るべからざる者なり、仍て後日の亀鏡の為譲与状件のごとし、
「解釈」
譲り与える、梨子羽郷南方弁海名内の田畠、林、屋敷并びに下人、雑具のこと。
すべて左衛門五郎に譲与する。
(中略)
右、この田畠・林以下、および雑具等を左衛門五郎に譲り与えるところである。兄弟が互いに水魚のように仲睦まじくし、双方異論を唱えてはならないものである。もしまたこの遺命に背いて、一方では秩序を乱し、一方では無法な訴訟を企てるならば、親子の関係であっても、庶子であっても、是非の道理を論ずるまでもなく、不孝者に違いないので、たとえわずかな土地であっても、この田畠等を望んではならないものである。そこで、後日の証拠のため、譲状は以上のとおりである。