周梨槃特のブログ

史料紹介という修行

命は大事

 『正法眼蔵随聞記』一ノ六

     (『日本古典文学全集27』小学館、1971年、321頁)

 

 (前略)また、病も治しつべきを、わざと死せんと思うて、治せざるも、また、外道の見なり。仏道には、命を惜しむ事なかれ、命を惜しまざる事なかれと云ふなり。より来らば、灸治一所、瀉薬一種なんど用ゐん事は、行道の礙りともならず。行道をさしおきて、病を先とし、後に修行せんと思ふは、礙りなり。

 

 「解釈」

 (前略)また、病気もなおせるものなのに、自分から死のうと思って、治療しないのも、これまた、仏道にそむく考え方である。仏道では、命を惜しんではならぬといい、また、命を惜しまないで、粗末にしてはならぬというのである。病気が迫ってきたら、灸を一か所すえたり、下剤の一種類などを使ったりすることは、修行の障害ともならない。これに対し、修行を捨てておいて、病気の治療を先にして、なおってから修行しようと思うのは、障害となるのである。

 

 

 「注釈」

正法眼蔵随聞記」

 ─法語集。6巻。1227年(安貞1)道元が宋から帰国した後、嘉禎年間(1235─’38)京都深草で僧衆らに示した法語を、弟子孤雲懐奘が筆録したもの(『角川新版日本史辞典』)。

 

*命に執着しないこと(捨身)と、命を粗末扱うことは、どうやら違うようです。死して完全な悟りの境地に至るのを(死即無余涅槃)、安易に望むのではなく、生きたまま修行しつづけて涅槃に至ること(有余涅槃)が大切だということなのでしょう。痛いところを治しながら、我執我欲(言葉)に左右されず、ひたすら穏やかに生を全うする。できそうでできないことの最たるものかもしれません。