周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

ロジェ・カイヨワ Part3

 ロジェ・カイヨワ戦争論法政大学出版局、1974年

 

*単なる備忘録なので、閲覧・検索には適していません。

 また、誤字・脱字の訂正もしていません。

 

第三章 鉄砲 歩兵 民主主義

 四 上流社会の戦争

P82

 考えてみれば、貴族階級の置かれた立場は、奇妙なものであった。典型的な戦士階級であったところの貴族階級は、戦いを自己の天職とすることによって、その誇りと特権とを正当化した。ところが、人を殺してしまうような強力な武器は彼らの価値体系に合わぬものであったので、彼らはこれを下衆に与えてしまった。貴族たちは、自らを生来のエリートと考えていたので、武力闘争の際にも、数を頼み衆を頼んで戦うことをしなかった。そして巧妙さと繊細さを栄光とした彼らは、戦争のなかにひそむ粗暴さと執拗さとを除こうと努めたのである。彼らは戦争を、形式だけのもの、仕来りだけのものにしてしまった。たくさんの成文法・不文律で縛られた、手の込んだ演習の組み合わせにすぎないものにしてしまった。ときどきには衝突もあったが、それとてごく稀な、儀式ばった計算ずくのもので、勇者がその武勇を用いて家名を高め、自らの徳を人に知らしめる機会であった。戦争がだんだんと進歩し、本物の、熱意のこもった、仮借なき血生臭いものとなってゆく過程は、それゆえ民主主義の発達と一致しているのである。また、歩兵が重要なものとなり、鉄砲の殺傷力が増大してゆく過程と一致しているのである。

 

 

第二部 序

P155

 戦争は、聖なるものの基本的性格を、高度に備えたものである。そして、人が客観性をもってそれを考察することを禁じているかにみえる。それは検証しようとする精神を麻痺させてしまう。それは恐ろしいものであり、また感動的なものでもある。人はそれを呪い、また称揚する。しかしそれは、ほとんど研究されていない。戦争は歴史のはじめから行なわれてきた。けれども、戦争に関する真に批判的な著作が現れたのは、ついさきごろのことである。このような著作がなかなか現れなかったということは、いささか意外なことである。しかし、戦争を断罪するものとこれを絶賛するものはいくらもあった。これを称賛する声は、どもみなさして説得力のあるものではない。これに同意するためには、ある特殊な信念が要るともいわれる。戦争の美点とされるものは、みな論議の余地あるものばかりであり、またあまりにも形而上学的であって、ごく些細な実証を行なうことさえ不可能である。とはいうものの、如何なる反対意見も、戦争の美点を公言する者のその確信を変えさせることはできない。

 これとは逆に、戦争を断罪する意見は、まぎれもない諸事実を伝えている。この意見によれば、戦争というものはすべて残酷で、国を荒廃させ、多くの人命をうばうものであるというが、これは火を見るよりも明らかなことである。したがってこのような意見をもつ人々は戦争を恐ろしいもの、不条理なもの、不毛のものと考え、さらに進んで、人類を悩ませる諸々の悪のうち最大の悪としてこれを非難する。一方、非難された方の陣営は、これに対してさして反論することもせず、かえってこれを、神聖なものと偉大なものとに対する冒瀆あるいは嘲笑として受け取る。戦争を擁護する人ばかりではない。戦争を恐れ、戦争を望みこそせぬもののそれを価値あるものと認め、忍従に甘んじている大衆も、右のような冒瀆をあえてする人々は神に見放された者と考える。人々は彼らの不信の念をいだき、同時に彼らを軽蔑する。いいかえれば、暗に卑怯者としてまた裏切り者として疑っているのである。彼らの行なうような論議を行うことを恥ずべきことのように思い、このような論議により身を汚されることを恐れる。彼らの言うところは、ほとんど、何か得体の知れぬおぞましい悪意によって吹き込まれた、もっともらしい意見のように見なされる。法律によってそれが許されているところでさえ、徴兵忌避というものは、救いようのない権利放棄、部分的にこそせよ男らしさを放棄すること、と見なされている。

 あらゆる信仰は、無神論の前に置かれたとき、これと同じような立場に置かれる。良識で考える人々はおそらく懐疑論の側に立つであろうが、かといって彼らは信仰を持つ人々を一人として説得することができない。神を信じぬ者は一番大事なことを見落としている、と信仰をもつ人々は判断する。不信者は神を否定することにより、自らが呪われていることを証しするだけだ、と彼らは信じて疑わない。最もよい場合でも、自分を超越した存在を頑なに認めようとしない、と不信者を非難する。戦争に対する人々の態度も、このようなものである。それゆえ、一般人の意識のなかで戦争が聖なるものとしての性格をもつと言われるのも、けだし当然のことであろう。要するに、人々は戦争を科学的研究の対象とするのを嫌がること、戦争が人々に対して引き起こす反応は両儀的であってしかも強烈であること、これら二つの徴候はいまの場合、戦争が示す諸々の徴候のなかでも特に無視することのできないものと言える。

 聖なるものは、まず、魅惑と恐怖の源であった。戦争は、それが人々を引きつけ、人々に恐怖を抱かせるときにのみ、聖なるものとして受け取られる。戦争が軍事技術に堕しているかぎり、それが少数の職業的兵士のみに関わるものであるかぎり、また旧習を墨守する戦略家が周到な計算に従って、過大な損失を避けながら行なうものであるかぎり、戦争は、切っ先の刃止めを外した試合用の剣を用いて行なう一種の試合にすぎない。それがいかに血みどろなものであろうとも、規律に縛られた一つの行動でしかなく、遊戯やスポーツに近いものである。事実何世紀ものあいだ、戦争はそのようなものであった。戦争はこののような条件のもとにあっては、いかなる宗教的な感情をも惹起するものではなかった。戦争が聖なるものの引き起こすいろいろな反射行動を引き越しうるためには、一国の国民全体にとっての全体的危険となることが必要であった。一国の国民全体が、その持てる資材のすべてを投入して決定的な試練を行なうといってよいほどの、国民総ぐるみの悲劇のなかで、各人が加害者あるいは被害者とならなければならなかった。

 

 →結局、コントロール不能であることに気づいたとき、戦争は聖なるものになるということ。

 

 

第6章 無秩序への回帰

P221

 戦争、それは承認された暴力であり、命ぜられた暴力であり、尊敬される暴力である。戦争は、人間の原初的な本当に満足を与えるが、文明はいかにも未熟なやり方で、懸命にこれを抑えようとする。組織的な破壊としての戦争は、社会の生産過剰により引き起こされた諸問題に対して、一時、単純にしてしかも根源的な解決を与える。戦争は定期的に起こる爆発である。この爆発のなかで個人と社会は、おのれが完成に達するかのような印象を、すなわち、人間存在の絶頂に達し、また真理に到達するかのような印象を受ける。原始社会において祭りが果たしている役割が、機械化された社会においては戦争によって果たされているのは、このためである。戦争は、祭りと同じように人を魅惑する。そして、現代世界がその持てる厖大な資源と手段とを用いてつくり出しところの聖なるものの、ただ一つの顕れとして出現する。

 

P225  二 兵士の本性

 あらゆる兵士は、自ずと暴力に走り、残酷に走るものである。酒を飲むにせよ、賭をするにせよ、物を盗むにせよ、女を犯すにせよ、人を打つにせよ、辱めるにせよ、殺すにせよ、当然権利のあることと、彼らは勝手に考えている。しかし彼らは、つねに危険を身近なものとし、あるいはこれを軽視してさえいるので、物惜しみをしたり身の安全に汲々とするようなことはない、身の安全を求めるなど、はじめから諦めねばならぬ彼らである。彼らは安寧と労働を、商業と貯蓄と軽蔑する。彼らは、自分が身を賭して護っている人々から、尊ばれることを要求する。彼らが人々のために護ってやった財産である以上、彼らが勝手に用いることは当然だと考える。彼らは女さえも、即座に思いのままにできるものと思っている。こうして戦争は、その昔の悪弊や傭兵のこととした、喧嘩、掠奪、婦女暴行を、存続させてゆく。

 今日の、制服を着けた軍規ある兵士のうちにも、こうした兵士の本性のあるものが残っている。そしてこうした兵士のあいだにも、未開社会にみられるような、部外者におぞ気を振るわせるような、仲間内だけの秘密な世界がある。戦争は、いかに機会的科学的になったとしても、やはり古代ゲルマン部族の野獣人が見せたような陶酔に、現代人を引き摺り込んでしまう。この野獣人〈berserker〉というのは、敵を殺すことによって奴隷の身分を抜け出した者で、それまでは奴隷の印である鉄の首輪つけていたという。彼らは人に恐れられ、自らも人を恐れさせることを好んだ。獣の皮をまとい、生肉をかみ、叫び声をあげ、自らも獣と名乗り、獣のごとく振る舞う彼らは、体を黒く汚して、真っ暗な闇のなかを歩き回った。それはまるで地獄のような異様な光景で、幽霊の群れのようにみえた、とタキトゥスは述べている。

 人々は働かぬ彼らに食を与え、またおそらく、彼らの勇敢さに対する代償として、ういういしい処女をも与えたであろう。他人の財に対して貪欲であった彼らは、その一方、自分の財を浪費したと言われる。彼らにとっては、人間の生命などなんの重要さももつものではなかった。そして彼らは、人間の生命を重要なものと考える人々を嘲笑した。もちろん、文明がこのような職業的な野蛮人の存在を不承不承認めていたことも事実であり、それを除去しようとしたことも事実である。ところが、戦争はこのような蛮行を、必ず再現させるものであった。戦争は人間を、一挙に野蛮状態に押し戻してしまう。兵士は労せずして、窃盗、掠奪といった昔ながらの習慣を思い出す。そして、農家から鶏を奪い、地下倉からは酒を奪い、什器を壊し、扉を破って喜ぶのである。とはいえ、このような迷惑ならまだよい方であって、一旦このような蛮行が始まってしまうと、あとはそれがひどくなるばかりで、たちまち再現の知れないものとなる。性愛においても同様である。兵士はぐずぐずと前置きにかかずらうものではない。その粗暴さは、優雅で迂遠な仕草と調和するものではなく、手取り早い満足を求めるだけである。上品な仕草などしている趣味も時間も持ち合わせない。死を身近なものとしている兵士にとっては、欲望を満足するのに待たされることなど、耐えられるものではない。ユンガーはごく端的にこのことを述べている。〈彼らは即座に花も実も要求し、欲望の対象が現れれば、すぐそれを手に入れようとした〉。兵営の荒々しい生活のうちに禁欲を強制された彼らは、異常性欲のなかにその償いを求めた。娼婦というものは兵士にとって、単なる褒美や慰みなのではない。ふしだらな放縦は、兵士にとって自慢の種を増やすものであった。彼らは人の顰蹙をかうようなことを好んで行ない、自分の快楽の相手となる女を見せびらかし、これをけばけばしい衣装や宝石や香料で飾った。人から奪った品物を用いて、自分の無恥を仰々しく飾り立てたのである。

 このように秩序や道徳を無視しても、彼らはなんの避難も懲罰も受けない。逆にそれは、栄誉のもとであり、栄光を与えるものでさえあった。戦争は文明人にとって、英雄となると同時に本能をほしいままにすることのできる、主要なそしておそらく唯一の機会である。兵士は一方において自分に価値あるものを得、他方、他者に対する威光を獲得する。しかしそこで彼らの行なう生活は、まずは何よりも破壊と略奪を事とするものであった。法と世論に屈従し、利益の追求に明け暮れる汚らわしい単調な生活から、彼らは解放される。手足を失い、負傷し、死ぬかも知れぬという予想が、彼らの試練を聖なるものとする。彼らの事務所か工場から連れ出され、強力な武器を渡され、これを操作する訓練を受ける。人々は彼らを、殺戮の権能と使命とをもった半神とする。突然与えられたこの最高の権限に、彼らは酔いしれる。殺される危険と殺す権利とが、兵士たちを恐るべき強烈な世界へと導く。

 

P228 三 兵士の陶酔

 殺戮の喜びは、一体いかなる点で、忘我の恍惚感と似ているのだろうか。

 

P230

 ユンガーの表現を借りていえば、彼ら(兵士)はまさに戦争の子なのである。〈彼らをつくったのは戦争なのだ。その火花のような内奥の趨向をほとばしり出させたのは、戦争なのだ。戦争が彼らの生命に意味を与え、そこにかけられた彼らの生命を聖なるものとしたのである〉、とフォン・ザロモンは説明している。

 世界は彼らは吐き出した。そこで彼らもその仕返しに、世界の規範や規則を据えさってしまった。戦争の興奮に中毒してしまった彼らは、節度を忘れて殺戮の狂気に身を任せ、根源的な混沌に立ち戻ったかのように考える。一切の規律を解消し、人間を原初の無罪性に戻し、絶対的な純粋性に戻すような、ある模糊たる実在に帰りつくかのように考える。そこではあらゆる法が、ごく些細なものに至るまでことごとく避妊され、永遠の無秩序が支配し、彼らの行ないは永遠に正当化される。

 

 

第7章 社会が沸点に達するとき

P237

 原始社会において聖なるものの時はいつかといえば、それは祭りの時である。祭りにおいては、もちろんいろいろな決められた儀式が行なわれるが、何よりもまずそれは、巨大な爆発のようなものとして現れる。そこにはすべての人々が集まり、その体力を消費し、その資財を濫費し、その生命力を確かめ合い、祖先を祭り、若者に社会の仲間入りをさせ、興奮し、集団的狂乱を分かち合い、同時にそのなかで消耗しながらおのれを栄光あるものとする。祭りと戦争とのあいだには、内容上の対立こそなけれ、いろいろな相違点はある。しかしそれにもかかわらず、戦争は、未開社会において祭りが果たしてきたのと同じ機能を、近代社会のなかで果たしているのだ、と考えさせるような、多くの性格をもっている。それは同じように広範な現象であり、同じように強烈な現象である。それは経済的、制度的、心理的な次元において、ある同じような転換の行なわれることを意味している。聖なるものが示す数々の特徴的な反応と同じ反応を、戦争が、何によってまた何故に、かくも高度に示しているのかということを正確に知るためには、戦争を祭りと対比するのが最もよいであろう。

 

P239  一 戦争と祭りはともに社会の痙攣である

 戦争の実態は、祭りの実態にあい通ずる。また人間の意識はこの両者から、たがいに並行するような神話をつくってきた。戦争と祭りとは二つとも、騒乱と同様の時期であり、多数の群衆が集まって、蓄積経済のかわりに浪費経済を行なう時期である。商業と工業とによって苦労して獲得された貯蔵されたものが、費消され破壊される。さらにまた近代の戦争と原始的祭りとは、強烈な感情の生まれる時である。このある間隔をおいて生ずる熱狂的な危機は、色あせて、静かで、単調な日々の生活を打破するものであった。(中略)祭りには断食があり、静粛な儀式があり、あらゆる種類の禁制があるかと思えば、混乱があり喧騒がある。一方戦争には、より後半なより徹底した荒廃をもたらそうとする細心に構成された組織があり、死の危険と破壊の陶酔をともなった秩序と計算がある。

 

 →ねぶたと同じ。現代でもこうした混乱・喧騒が息づいている。別に原始的祭りに限らないのではないか。

 

P239

 戦争の世界は祭りの世界と同様に、平時の生活様式から激しく自分を断絶することによって、必然的に右と同じような現象を起こさせる。基本的な類似は、まずこの二つの事象のもつ、経済的意味に見出される。そしてまた、この二つの事象が激しい形で現れるとき、社会科学の見地からみて、この二つ事象がそれぞれの社会のなかで占めている異常に強力な地位に、その類似が見出される。しかもこの類似は、単に集団生活の奥底にのみかかわるものではない(もしそれが単なる類似であったとしても、それは人に多くのものを教えるものと言わなければならぬ)。この類似は、この二つの事象に参加する者の、内心の態度にまでみられるのである。祭りのなかで、あるいは戦争のなかで、神的なものをあるいは死を身近なものとする人間は、自分が偉大なものとなったのを感じる。そしてその興奮の絶頂において、日常抑圧されてきた諸々の本能が解放されるのである。

 

P240

 戦争と祭りは、平常の規範を一時的中断することであり、真なる力の噴出であって、同時にまた、老朽化という不可避な現象を防ぐための唯一の手段である。祭りの行なわれぬあいだ、また平和の時代においては、既得の地位、既存の利益、また聞きにすぎぬ意見、慣習と怠惰、利己主義と偏見等々が強化される。物事はみな重苦しく動きの鈍いものとなり、動きのとれぬ状態、あるいは死へと向かってゆく。それとは逆に戦争と祭りは、いろいろな屑やかすを取り除き、虚偽の価値を清算し、本源的なエネルギーの源へとさかのぼる。そして、その危険でしかも健康的な暴力を使用して、この本源的エネルギーを充分に発揮させる。

 この両方の場合とも、秩序、慣習、固定性といったものがなくなったときに、人は目ざめる。そこにおいて人々は、すべてがすべてのをつくり出すような奇怪な豊穣性をもった混沌の時のなかに、移し置かれたかのように感ずる。そして自然も人間も、この永遠の青春の泉に浴して若返る。

 

 →エネルギッシュな壮年世代までなら、こうした感覚は理解できるだろうが、老年期になると、戦争や祭りに対して関心が薄くなるのではないか。自分自身が動きの鈍いものになるため、その体の動きに慣れてしまえば、心も動きを欲しなくなる。体自体が死へと向かっていくわけだから、社会が固定化し、動きのない死の状態に向かっても違和感はないのではないか。

 

P245

 このような血を浴びながら行なわれる祭りがよく示しているように、祭りというものは何よりもまず、集団的な興奮の絶頂であり、群衆を誘惑して引きつけるものであって、一旦そこに加わった以上は命を落とすこともあり、いたいたしい重傷を負わされることを覚悟せねばならない。戦争と祭りとの違いがよく現れるのは、このような点ではない。その違いはむしろ、祭りがその本質において、人々の集まり合体しようという意志であるのに反して、戦争はこわし傷つけようとする意志であるという点にある。祭りにおいて人は互いを高揚し興奮させるが、戦争においては人は相手を打ち負かしてこれを服属させようとする。そこでは共同にかわって憎悪が現れ、二つの胞族の結合にかわって二つの国民の衝突が現れる。

 

P246

 それ(真の絆)は、一般に女によって伝えられ、氏族のなかで実現されるところの、ある神秘的な原理に参加しているということにある。各氏族はおのおのの自分のトーテムをもっている。このトーテムは、この原理の超自然的の源でありそのしるしである。そのうえ、集団はけっして孤立したものではなく、結婚の絆により対蹠位置にある氏族に結び付けられており、各世代ごとにその親族関係が固められ更新される。近親結婚の禁止の重要さ、いいかれば外婚制の法則の重要さはここにある。そして各人は、相補的な氏族の者と結婚するよう義務づけられている。このような規則は、共働と交換を保証するための組織の、一つの特殊な例にすぎない。そこで交換されるのはいうまでもなく女であり、労役であり、祭礼である。各集団の存立と、力と、繁殖と栄光は、相手の集団に依存しているわけである。細密な相互関係が、これらの集団と集団とのあいだの関係を司っている。各集団はその相手にとって、生命の保証であり繁栄の保証である。

 

 →婚姻関係が無意識に文化を移動させているのかもしれない。切腹を美徳とする価値観が、妻を通して、武家から公家へ…。姻族関係・親族ネットワークなどのヨコの関係は、イエ制度のようなタテの関係に比べるとないがしろにされがちだが、この関係性でなければ起きない歴史事象は絶対にあるはず。これも確定しておく必要がありそう。次世代への伝播がイエ制度の役割、同世代・同階層への伝播が親族ネットワークの役割なのかもしれない。

 

P248

 相補的集団関係を基礎づけている完全均衡の原則、すなわち相互奉仕の原則は、位階制度が生まれ、権力が個人のものとなり、社会が複雑化し、兵士、僧侶、鍛冶師、舞踏師、大工、医師等の特殊な団体が分化し、各人が異なった技術をもち、その技術が彼らの信用を基礎づけ、社会的役割を規定するようになると、これまた変化してくる。このような条件において、その集団の協約の根本をなすものは、尊敬ではなくて威厳である。それが世襲的なカーストであるにせよ、閉鎖的な同業組織であるにせよ、この点にかわりはない。この種の社会は、非常に多様な型をもっている。とはいえそれは、おしなべて封建的な中世のものといってよく、少なくとも、中世キリスト教世界と同じような性格をもつものである。これらの性格は、この発展段階に固定化して存続することもありうる。私はこのような社会を、領土上の境界よりも階級上の境界の方が大きな役割を果たしていた社会、と定義したい。この階級上の境界こそが、相対立するいくつかの共同体を分け隔てていた本当の柵なのである。したがって戦争は特権階級の行なうものとなり、貴族のみが行なうものとなった。貴族のみが武器をもつ特権を保有し、貴族同士のあいだで結婚が行われたように、戦争も貴族同士のあいだで行われた。

 これが貴族戦争の時代である。この種の戦争は、階級が分化した世界にしか存在せず、武士として生まれ武士として育った同じ階級の者だけが行なう戦争であった。一般の人々は、従者として、補助要員として、また被害者としてしか、この戦争には加わらなかった。この戦争は、激しい規則にのっとった遊戯であった。そこで最も重要とされたのは名誉であって、人々は戦いをいどみ、いどまれた者はこれを受け、またその挑戦に耐え、その勇気と誠と度量を証しし、たぐい稀なる武功を挙げることによってその名誉を得たのである。称号、旗、定紋、兜の前立て、その他あるゆる紋章は、みな領主たちがその貴族であることを表すものであった。その豪胆さと豪奢とが、あるときはその名を輝かせ、あるときはその名を傷つけた。戦争は一種の試合であって、規則がはっきりと決められている点ではゲームに近く、対抗して行なわれている点ではスポーツに近く、同等の武器を用いて行なわれ優れた者が賞を得る競技であった。戦争をこのようなものと考えることは、階級が分化していない民族が行なうところの、腕力と待ち伏せによる戦いから生じたものではない。このような考え方は、祭りからじかに生まれたものなのである。

 

 →地理的な隔たりによる文化の違いもあるだろうが、階級上の障壁による文化の違いが厳然としてあることも理解しておかなければならない。いや、むしろもう一度この重要性を主張することが重要なのかもしれない。切腹などは、まさにそれではないか。やはり、切腹は日本人の文化なのではない。一部の特殊な仕来りや名誉感が、何らかの媒介によって、意図せず広まっていっただけではないか。

 

P249

 祭りは社会とともに変化した。それは合体による興奮の絶頂であることを止め、指導者たちが自己の優越性を相手に知らしめようとして行なう競合による興奮の絶頂となった。指導者たちは、あらん限りの富を大がかりに分配し、また破壊して、富において劣る相手に対して優位に立とうとする。奉仕を相互に授受し得るような均衡を保とうと努めるのではなく、これをこわそうと努めるのである。相手に与える贈り物はみな、相手を凌駕するための挑戦を表すものとなる。それは、政治的権力を、影響力を、超自然的秘密を、あるいは超自然的力を表す証拠を、紋章を、護符を、特権を、名前を、神話を、歌を、また魔法の舞を、獲得するための手段なのである。〈われわれは武器で戦うのではない。われわれの財産を与えることによって戦うのだ〉、とクワキウルト族はいっている。男たちは、敵の頭に見たてた花飾りをもって現れる。そして、敵の名を叫びながら、それを火の中に投げ入れる。ところでこの花飾りは、彼らが分配する銅の板と実際上同じ意味をもつものであって、ここで叫ばれた名前は、豊富さを見せびらかす競合のなかで負けた相手の名前と同じ意味をもつのである。誇張と無益な浪費とが、偉大さの印とされる。頭領はためおいた魚油を燃やし、自分の舟をこなごなにこわし、あざらしの皮を裂き破り、銅板を海に投げて、相手をはずかしめる。優越性を求める執念は古今を問わずつねに存在し、社会経済機構の全体にその影響を及ぼしている。このように、自分の財を犠牲にして得られるものは、またそれらを所有する者を殺すことによって得ることもできる。手に入れようと渇望する財産や特権を自分のものとするには、その相手が返すことのできないような豪華な贈り物をすることにより、相手を格下げすることも一つの手であるが、相手を殺してしまうのも一つの方法である。

 もちろん、〈ポトラッチ〉という制度は例外的なものであるが、その心理はあらゆる貴族社会のなかに見ることができる。すなわち、決まった作法で戦争を行ない、豪奢と武功(これはスポーツにおける記録に等しい)をもって高貴な生まれの人間の価値とする社会には、まさにこれが見られるのである。戦争そのものは贅沢なものである。それは命を賭けた祭りである。しかし戦争は、人々を集めるかわりに分け隔てる。それは隔たりを印づけるものなのだ。戦争はまた、それを務めとする少数の特権階級の驕慢を正当化するものでもある。このような戦争は、社会が高揚した頂点を示すものではまったくない。このような過渡期の時代においては、祭りはもはやこの頂点を示すものではなくなり、戦争はまだそこにまで至っていなかったのである。

 

P250

 国民全体というものが他のあらゆる集団構造をしのぐものとなったとき、はじめて戦争は社会的高揚の頂点となった。貴族階級の武士たちはたがいに近親感をもっていて、それは国境によって妨げられるものではなかった。彼らは何の憎悪も抱かず、たがいに尊敬し、決められた通りに戦いをした。このような戦いは彼らの抱いていた本能的な連帯感をさして損なうものではなく、彼らが都市住民や平民、いいかえれば市民に対してもっていた傲慢さを、和らげるものではなかった。国民というものが平等の権利をもつ市民のみによって構成されるようになり、市民は政治的力を与えられ、そのかわりに兵役の義務を負うようになったとき、国民は、武装した不可分の全体となり、当然他の国民(→外国人という意味)からは分け隔てられ、たがいに対立し、排除しあう絶対的なものとなった。それが厖大なものとなるにしたがって、国家は国民に対してより大きな役割を果たすようになり、またより多くの統制を行なうようになった。それによって、国民はより社会化された一方、ますます閉鎖的な硬直したものとなった。

 

 →『平家物語』などの軍記物にみられる、敵対者への敬意描写など、まさにこの指摘に一致する。つまり軍記物は、軍事貴族という限定された階層に特有な価値観が描き出された特殊な物語であり、けっして当時の日本人全体の社会通念を描写した作品ではなかったと言える。切腹・自害を美談として描くのも、ハビトゥスや界の影響ではないか。むしろ、その価値観が界を超えてどう広まっていったかが問題で、文化や通念を媒介していった存在が何なのかを突きとめなければならない。婚姻・女性の果たした役割はとても大きいのではないか。

 

P251

 こうなってくると政治というものは、戦争を期待しながら行なわれるものとはいわぬまでも、戦争の脅威を考慮しながら行なわれるものとなった。政府は国民の精神的・物質的力を増大させるための一切の物事を、その責務として引き受け、監督し、規制する。戦争の見通しについて、政府は絶えず注意していなければならない。このようにして国家にとって戦争は、一つの幻惑となり、一つの絶対となったのである。国家が如何に平和的なものであったにせよ、その国家が戦争を信奉しているとか、戦争を準備しているとか、あるいは戦争を恐れているとかいったことは、結局たいした問題ではない。国民が一つの全体として構成されている限り、国民が至上のものであってその上に立つものがないないかぎり、国家はそのような宿命を脱することができない。国民は、隣する諸国民とつねに競合しなければならぬ位置に置かれている。国民が、その人的資源と物的資源とエネルギーをすべて動員して、これを敵対する国民に対して投げかけるとき、国民の心は白熱し、興奮と浪費のときがはじまり、極度の緊張が生まれる。この種の社会が二つあい対した場合、この対面はもはや合体のための出会いではあり得ない。境界線もなく国家もなく、輪郭も定かでない社会において、相補的集団のあいだで行なわれるような、合体のための出会いではあり得ない。それは、もはや止まることを知らなくなった国家主権の行使によって引き起こされる、無慈悲な殺戮である。そしてこの国家主権の行使を鼓吹しているものは、利己主義と、勢力拡張の欲望と、そしてまた権力意志とはいわぬまでも、領土保全の関心とにほかならない。

 

P252

 別の全体と対決することにより、国家は自己を肯定し、自己を正当化し、自己を高揚し強化する。その故にこそ、戦争は祭りに類似し、祭りと同じような興奮の絶頂を出現させるのである。そして祭りと同じように一つの絶対として現れ、ついには祭りと同じ眩暈と神話とを生むのである。そこは暴力までが変形される。祭りがしばしば暴力をともなうものであることは、すでに見たとおりであるが、祭りにおける暴力は付帯的なものであり、豊穣なる熱狂に付随するものであった。この熱狂は暴力により最高潮に高められ、この熱狂から、活力の横溢とともに、暴力は噴出した。ところが戦争において暴力は、機械化して適用すべきものとされ、執拗な戦いを行なうための目標として慎重に考慮されるものとなる。国家が戦争から生まれたとしても、今度は逆に国家が戦争を生むことにより、国家は戦争に返礼したようなものである。この両者は、あいたずさえて進歩する。激しい戦争の行なわれるたびに、国家の権力は伸張し強化された。また逆の角度から見れば、戦争のため国家が新しい責務を引き受けるたびに、戦争はより激しいものとなり、より大きいものとなった。国家の統制が強まれば強まるほど、戦争はより多くのものを消費するようになった。戦争においてより多くの消費がなされるようにするために、国家は絶えず統制を強めてゆくのだ、といってもよい。こうなってくると、隣の国家と国力の資源を競うための闘争が、国家の最大の関心事となる。構造のゆるやかな世界あるいは構造がほとんどないような世界においては、出会いというものが、交換の機会であり、宴の機会であり、祭り、市、競技の機会であったが、もはやこのようなことはあり得ない。国家が成立し確立されてゆくあいだに、競争心は友愛の精神を圧倒するものとなった。特権階級が作法を重んじた貴族的な抗争を行なっていた時代のつぎには、相手集団の存在そのものが無慈悲な勝負の対象になるほどの、憎悪に満ちた絶対的な闘争の時代が到来したのである。

 狂宴と殺戮、祭りと戦争、この二つの現象は対称的なものであり、ともに暴力的なものである。この両者は、別の部面においてではあるが、ある同一の高度な機能を果たし、ともに人間を魅惑する力をもっている。その危機状態を目的とするところが物を生むためか減殺するためかにより、人間を迎え入れるためか排除するためかによって、祭りと戦争は、一方は人を引きつけるものであり、他方は人を恐怖におとしいれるものであった。祭りから戦争に至る道程は、技術の進歩と政治組織とに深くかかわっている。一切のものにはその報いがある。現在の戦争の形態も、文明の進歩のなかにあらかじめ含まれていたといってよい。文明がその輝かしい成果によってはぐくみ育てたところのこの内的危険は、いまや文明そのものを破壊の脅威にさらすものとなった。現在の文明は、この内的危険に向かって華々しく突き進んでゆかざるを得ない状態にある。

 

 →鎌倉時代の戦争は特権階級の貴族的な抗争に近いような気もするが、室町時代になると、憎悪が目立つようになるような気がする。闘争も軍事貴族だけでなく、寺社や村落・町共同体などに広まり、激しさを増すような気がする。それでも、解死人制や中人制、本人切腹制のような作法によって、敵の殲滅を目指すところまではいってないような気もする。この中途半端な状態で明治まで進むのか。

 

 

結び

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 抗争の形態が根本的に変化したのは、十九世紀に入って全国民が武装されるようになってからのことと考えられるが、この原則は、彼(クラウゼヴィッツ)も躊躇することなくこれを認めていた。職業的あるいはカースト的な武士、貴族あるいは傭兵とは別に、市民兵が出現した。平等という原則は実のところはほとんど守られてはいなかったが、全市民に対してすべて兵士たることを要求したものは、この平等という原則であった。かくして武士の集団は、召集兵の大群のなかにすっぱり飲み込まれてしまったような状態となった。戦争にたずさわる階級は、従来の他の普通の人々、すなわち学問、労働、商業等、富の蓄積を生業とする人々とは違うものとされてきたが、このような風俗上の区別は、武士集団が市民兵のなかに呑み込まれるというこの混淆により弱められ、その特権も少なくとも理論的には廃止されたわけである。

 かくして近代文明は、戦争を専業とする特権的なカーストを、逐次増大してゆくある画一的なもののなかに解消しようとしたのである。この階級は上品な、作法をわきまえた階級ではあるが、偏見と仕来りを墨守し、儀式を重んじた。そして戦争というものを、貴族的な厳格な遊戯に、寛大さと公正さとを重んずる抗争に、文字通りの贅沢な行為に、危険を含むものとはいえ規則正しい礼節の交換に、変えようとした。不幸にして、ヒロイズムの形態はさまざまであった。その形態は、社会の要求に従って変化した。それは、目立たない、技術的なしかも無慈悲なものとなることが可能であった。

 それ以降はほとんどの戦争は、平民により引き受けられ行なわれることになった。けれども逆説的なことに、それは少しも戦争を文明化することにならなかった。というよりも、それはむしろ逆であったとさえいえよう。豪勇といったような武士特有の諸々の美点が、重んぜられなくなったことは事実である。忍耐はこれよりよく評価された。というのもこの種の受身の勇気は、自分の部署をあくまでも離れないということにもなり得るからである。けれども、戦争が工業的で精密でこせこせした企てとなり、一人びとりの個性が失われてしまうようになったとしても、戦争の大きさ、その激しさ、その残酷さは、ますます大きな勢いで増大するばかりだった。

 

 →軍事貴族が階層として庶民を軽んじることができるのは、武器をもって勇敢に戦う階層だからであり、そのアイデンティティとして、切腹の作法も生まれたのではないか。敵対者に対して負けを認めたことを明示し、戦争を終結させるための手続きという意味だけではなく、武士としてのアイデンティティを同階層だけなく、異なる階層にも示す必要があり、武士階層全体に切腹が広まっていったという可能性はないか。かりにそうだとして、なぜ切腹という手段を選ぶ必要があったのかについては、別途考えておく必要がある。「死」以外に武士としての矜持を示す手段はなかったのか。

 武士の集団は、「消費しかしない人々」という定義は目から鱗。他の集団は消費もするが、富の蓄積が本質のような気がする。近代は機械化のおかげで、人間が自然に蓄積できる富の量を一挙に増やしすぎた。つまり、富があまりすぎているので、大量消費するための手段が必要になる。それが戦争だったというのは笑えない話。