嘉吉元年(一四四一)二月二十七日条
(『図書寮叢刊 看聞日記』6─257頁)
廿七日、晴、時正中日也、持斎如例、(中略)抑此間一条もとり橋東爪ニ夜々有
(細川持常)
拍物、三ヶ夜めニ、細河讃州聞之、人を出して令見、忽然而失、妖物所行也、仍
公方へ注進、拍詞凶事を申云々、巷説不審、注進之上ハ実事歟、(後略)
「書き下し文」
二十七日、晴る、時正中日なり、持斎例のごとし、(中略)抑も此の間一条戻橋東詰に夜々拍物有り、三ヶ夜目に、細川讃州之を聞く、人を出して見しむ、忽ち然るに失す、妖物の所行なり、仍て公方へ注進し、拍子凶事を申すと云々、巷説不審、注進の上は実事か、(後略)
「解釈」
二十七日、晴れ。春分の日である。持斎はいつものとおりだ。(中略)さて、ここ数日一条戻橋の東端で、毎夜囃子物が行なわれた。三夜目に細川讃岐守持常がこれを聞き、人を遣わして偵察させた。しかしすぐに消え失せた。妖怪の仕業である。そこで将軍足利義教へ報告し、囃子物は凶兆であると申したという。世間の噂ははっきりしないものばかりである。だが、将軍へ報告したうえは、事実だろうか。(後略)
It was fine on February 27th. It was a day of vernal equinox. (Omitted) Well, recently, at the eastern end of the Ichijo modoribashi bridge, a uproar happened every night. On the third night Hosokawa Mochitsune heard the rumor and sent his vassals to investigate. But something that had made a fuss disappeared quickly. Yokai must have done this. So Mochitsune told General Ashikaga Yoshinori that this uproar was a sign of misery. The rumors of the world are unbelievable. But this may be true because it is information reported to the generals.
(I used Google Translate.)
*怪談話で有名な一条戻橋で、妖怪たちが夜毎、歌い踊っていたようです。ちょうど、こんな感じでしょうか!?
こんな画像より、ハロウィンで盛り上がる渋谷をイメージしたほうがわかりやすいかもしれませんね。
いずれにせよ、百鬼夜行が古記録に記されると、上記のような記事になるのでしょう。