周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

神仏に対する冒涜罪

  文明二年(1470)六月廿六日条

           (『大乗院寺社雑事記』4─451頁)

 

    廿六日(中略)

 一随心院殿之若狭寺主相語、祇薗炎上以来、神躰五条邊ニ奉入之、彼神躰ハ以全躰

  黄金奉鋳之、牛頭形躰、希有本尊也、然而社人奉碎之売買了、此事無其隠之間、

  彼社人乍生流淀河畢、西方沙汰也、(後略)

 

*『大日本史料』8編40冊144頁(延徳二年十二月十二日)にも同条は掲載されていますhttps://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/850/8500/02/0840/0144?m=all&s=0143&n=20)。

 

 「書き下し文」

 一つ、随心院殿の若狭寺主と相語らふ、祇園炎上以来、神体五条辺りに之を入れ奉る、彼の神体は全体黄金を以て之を鋳奉る、牛頭の形体、希有の本尊なり、然れども社人之を碎き奉り売買し了んぬ、此の事其の隠れ無きの間、彼の社人を生きながら淀川に流し畢んぬ。西方の沙汰なり。

 

 「解釈」

 一つ、随心院殿厳宝の使者である若狭寺主と語り合った。(六月十四日に)祇園社が炎上して以来、ご神体は五条あたりに移し入れ申し上げた。この御神体は全身黄金で鋳造し申し上げている。牛頭の形体で、珍しい本尊である。しかし、社人がこれを砕き申し上げて売ってしまった。この事件は世間に広く知れ渡っているので、その社人を生きたまま淀川に流してしまった。西軍の処置である。

 

 「注釈」

随心院

 ─山科区小野御霊町。牛皮山と号し、真言宗善通寺(現香川県善通寺市)派。本尊如意輪観音。俗に小野門跡にという(『京都市の歴史』平凡社)。この時の門跡は厳宝(『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/厳宝-1073539)。そのほかに、安田次郎『尋尊』(吉川弘文館2021年、5頁)も参照。若狭寺主については未詳。門跡の使者であったと考えられる。

 

 

「西方」

 ─応仁・文明の乱における西軍の意味。同年同月に、畠山義就祇園社に対して本尊の破壊・売買を禁止する禁制を発給しています(「畠山義就祇園社金仏勧進所禁制」『中世法制史料集』第4巻、武家家法Ⅱ、147頁)。

 

 

祇園社のご本尊は黄金製の牛頭天王像だったようです。きっと神々しいお姿だったのでしょう。ところが、このありがたい尊像を破壊して売り飛ばした不届き者が現れます。売るほうも売るほうですが、買うほうも買うほう…。両者、なかなかのバチ当たり者です。

 ですが、この信じがたい行為よりも恐ろしいのは、捕らえられた犯人を生きたまま淀川に放り込んでいるところです。簀巻きにして海に沈めてしまうヤクザの手法とよく似ていますが、これが神仏を冒涜した報いなのでしょうか。もしこの「河川投棄刑」が、明文化されていない当時の慣習的処刑法であれば、なおのこと物騒な話です。応仁・文明の乱の真最中で、西軍もいきりたっていたのかもしれませんが、中世の処罰というのは本当に苛烈だと感じますし、一方で信仰というものの恐ろしさに背筋がぞっとします。