周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

2017-01-01から1年間の記事一覧

須佐神社文書 参考史料2の2

五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その2 一五月四日 菖蒲蓬備候事 舛取之役也 一同 廿九日 忌指榊青近村円満寺山ト高山天神山ニテ隔年ニ御当四人之内ゟ申合伐 ニ参、此料米壱舛九月御当米ノ内ヨリ出候事 紙手切役 陸奥 弐本 本社鳥居エ立 舛取万吉 注連共 …

須佐神社文書 参考史料2の1

五〇 小童祇園社祭式歳中行事定書 その1 天保七年(一八三六) 小童村 「解説」 祇園社(現在の小童須佐神社)の神事祭礼等の年間行事の詳細を記録したものである。当時は神仏習合の時代で、神宮寺別当は甲山町今高野山安楽院の僧が兼帯し、祢宜伊達紀伊守…

弓矢の道と同性愛

文安五年(1448)七月二十五日条 (『康富記』2─315) 廿五日己酉 晴、於三福寺講述而篇了、 傳承分、今朝飯尾四郎右衛門尉遁世云々、加賀入道次男也、此間與細河讃州被官人、 有公事之子細、一昨日屬無為分也、尚有其憤之故歟如何、其謂聞及分ハ、…

須佐神社文書 参考史料1の7(完)

小童祗園社由来拾遺伝 その7 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 貧道生質愚昧にして」目睫さへ見ること不叶、…

須佐神社文書 参考史料1の6

小童祗園社由来拾遺伝 その6 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 又伝ふ素盞嗚尊の御童児の御時は」御名を牛頭…

須佐神社文書 参考史料1の5

小童祗園社由来拾遺伝 その5 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 于茲当山に金牛正銀と云者あり」十方勤化して…

須佐神社文書 参考史料1の4

小童祗園社由来拾遺伝 その4 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 又山かつの昔語ニ素盞嗚尊ハ」伊弉議尊の第四…

須佐神社文書 参考史料1の3

小童祗園社由来拾遺伝 その3 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 人王四十九代」光仁天皇御宇宝亀二年辛亥」詔…

須佐神社文書 参考史料1の2

小童祗園社由来拾遺伝 その2 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 時に前なる」松の樹小鳩壱つがひ来り、是より…

須佐神社文書 参考史料1の1

【参考史料1】 小童祗園社由来拾遺伝 その1 「解説」(『甲奴町誌』資料編一、一九八八) この記録は小童祇園(現在の須佐神社)の神宮寺別当(貧道か)が小童祇園社の由来にかかわる種々の伝承を書き遺したものである。「二、須佐神社縁起」と同じ内容の…

この〜木、何の木? 餅のなる木〜♪ ─室町時代の餅花史料─

文安五年(一四四八)五月二日条 (『康富記』2─289頁) 二日丁亥 晴、 (中略) 一昨日室町殿祗候了、其時分、自大方殿、椿枝ニ餅之生タル被送進之間、人々稱奇異 見了、同於御前拜見之由令語給、此椿樹ハ嵯峨雲居庵之庭之椿也、赤キ餅ノちいさき が出…

須佐神社文書 その5(完)

一 須佐神社縁起 その5 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 一ひごのくにせらごおりひち村、むとうざんきおんしやふじやこずてんのふちん ざしだいき 座次第記 さんじや おうミやうちこさつす ひかしにじやどくきちんてんのふ、…

須佐神社文書 その4

一 須佐神社縁起 その4 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (讃岐) 太郎王子、そふかふてんのふ、さぬきの國たきのやしろ、こすてんのふ、 (本) (日光菩薩) (大歳神) (魔王天王) ほん地につかふぼさつ、だいさいぢん…

須佐神社文書 その3

一 須佐神社縁起 その3 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 いそ もちゆき (疑) 一ふてあそばし給はゝ、急ぎ持行娘と娵とにかけけれバ、うたがいなくたすかり、 のかる 遁るものなり、 (札守) (立) (弓) こたん將來處に…

須佐神社文書 その2

一 須佐神社縁起 その2 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (崇神天皇) (戊子) (疫癘) 一しゆぢんてんのふつちのへね、天下ニゑきれいはやる、しする物過分、 (欽明天皇) (丙寅) (民) 一きんめいてんのふひのへとら…

須佐神社文書 その1

一 須佐神社縁起 その1 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (前闕) 「 」の中國 (牛頭天王) [ ]國こずてんのふ[ ]にあまつ (伊弉諾) (さなみふたヵ) [ ]七代に當て、いさなきい[ ]はしらの 尊を、中てん[ ]い…

須佐神社文書 紹介

「須佐神社文書解説」 当社は「小童(ひち)の祇園さん」の名前で親しまれている。『芸藩通志』によると「文禄三年甲午(一五九四)毛利氏営造」とあるが、これは社殿の造立を指していると思われる。当社の縁起はそれをさかのぼる文明元年(一四六九)の成立…

福王寺文書22 その7(完)

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その7 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その6

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その6 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その5

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その5 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その4

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その4 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その3

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その3 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

中世のキラキラネーム ─女子の幼名はどう決まる? (How to decide the girl's name in the Middle Ages.)

文安五年(1448)四月十五日条 (『康富記』2─274頁) 十五日庚午 晴、 (中略) 鴨御蔭山祭也、祭儀如例、予密々伴山下親衛禅門見物、先過出雲路道祖神敬白之 (サイ) 處、或女姓令懐兒女、可被付名之由、令申山下之間、卽道祖ト付了、其母堂卜シ…

福王寺文書22 その2

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その2 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その1

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その1 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書21

二一 別當僧正某安堵状寫 別當僧正書判 新熊野社領安藝国三入庄領家職事、任二相傳一令二知行一候、有レ限社役以下任二先 例一無二懈怠一、可レ被レ致二其心得一之由別當僧正御房所レ仰也、仍執達如レ件、 (1368) 應安元年八月十三日 權大僧都書判 權大僧…

福王寺文書20

二〇 武田光誠氏信宛行状寫 (安北郡) 侍従阿闍梨良海申安藝国可部庄内福王寺別當職事、右就二良海由緒一令レ申之間所二 宛行一也、任二先例一可レ致二沙汰一之状如レ件、 (1375) 永和元年八月 日 判 侍従阿闍梨御房 「書き下し文」 侍従阿闍梨良海申す安…

福王寺文書19

一九 武田信繁安堵状寫 安藝国安北郡可部庄内福王寺領(割書)「後山綾谷」名之事、於二而諸役等一者不レ 可レ有二違乱煩一候、若致下背二此旨一輩上者、不レ可レ爲二子孫一者也、仍爲二後證一 状如レ件、 (1436) 永享八年十月十五日 前伊豆守信繁 判 福王…

ハゲの悩みは超歴史的か!? (Has humanity been plagued by baldness all the time?)

文安元年(1444)八月十九日条 (『康富記』2─89頁) 十九日乙丑 晴、供養妙徳庵坊主、山城国水無瀬、(割書)「或ハ廣瀬トモ云、山崎 ノ南也、」在行基御作阿彌陀佛、金泥、三尺餘、 経数百之星霜、坐一宇之蘭若、近 年破壊、見路道、侵雨露之間、人…

福王寺文書18

一八 沙弥乗光武田信在寄進状寫 寄進 (安北郡) (奈ヵ) 安藝国可部庄福王寺奥院大師御影堂免、同庄内小桑原田畠山所等事、 (マ丶) 右此免田等、致二子々孫々一有二違乱煩一者、不レ可レ爲二子孫一之状如レ件、 (1400) 應永七年正月十一日 沙弥乗光 福…