嘉吉元年(1441)五月二十三日条 (『建内記』3─209)
廿三日、己未、
無量寿院来臨、笋已下珎物有芳志、旁賞翫催興了、玄周来、蔡壽喝食十歳論義已下讀
誦、令悦耳了、件蔡壽者無量寿院下男子也、犬再誕之由人称之、彼寺有犬、僧衆於佛
前勤行之時此犬必同音吠、送犬如此、終於佛前薨、不幾而下男之妻懐妊、所誕生也、
仍有此疑云々、
「書き下し文」
廿三日、己未、
無量寿院来臨す、笋已下珍物芳志有り、旁賞翫興を催し了んぬ、玄周来る、蔡壽喝食十歳論義已下読誦す、耳を悦ばしめ了んぬ、件の蔡壽は無量寿院の下男の子なり、犬の再誕の由人之を称す、彼の寺に犬有り、僧衆仏前に於いて勤行の時此の犬必ず同音に吠ゆ、年を送ること此くのごとく、終に仏前に於いて薨ず、幾ばくならずして下男の妻懐妊し、誕生する所なり、仍て此の疑ひ有りと云々、
「解釈」
二十三日、己未。
無量寿院良意がお出でになった。筍など珍しいものを持参するお心遣いがあった。あれこれと味わい楽しんだ。息子の玄周も蔡壽喝食を連れてやってきた。蔡壽(十歳)は論義や経典の読誦を披露し、私の耳を楽しませてくれた。この蔡壽は無量寿院の下男の子どもである。人々は犬の生まれ変わりと言っている。無量寿院には犬がいた。僧たちが仏前でお勤めをしている時に、この犬は必ず僧たちの声に合わせて吠えた。このようにして何年も過ぎ、とうとう仏前で死んでしまった。それからどれほども時が経たないうちに、下男の妻が懐妊して、蔡壽が誕生したのである。だから、このような疑念があるそうだ。
Ryoui of Muryoujuin temple came. He brought me something rare like bamboo shoots etc. I enjoyed eating them. His son Gensyu also brought Saizyu. Saizyu (ten years old) showed me the reading of the Buddhist scriptures and the catechism, and entertained me. This Saizyu is a child of a servant in Muryoujuin temple. People say a dog has been reborn to him. There was a dog in Muryoujuin temple. When the monks were reading the Buddhist scriptures in front of the Buddha statue, this dog always barked in accordance with the monks' voices. Thus many years passed and at last the dog died in front of Buddha. Soon after, the servant's wife became pregnant and Saizyu was born. So, such speculation is caused.
「注釈」
「無量寿院」─京都市左京区永観堂町の浄土宗禅林寺か。人物は良意。
「玄周」
─記主万里小路時房の子息。応永三四年(一四二七)生。永享一二年(一四四〇)受戒。浄花院の院主(『建内記』解題)。
「蔡壽」─未詳。無量寿院の下男の息子。
「論義」─問答により仏教の教義を解き明かすこと。
【コメント】
前世における法華経などの功徳によって、動物が人間に転生するといった話は、説話集にもあります。今回の話もほぼ同じ内容ということになります。室町時代でも、こうした転生譚は生きていたのですね。
There are also stories in which the animals are reborn as humans by the blessing of the Lotus Sutra in their previous life in the Buddhist narratives. This story also has almost the same content as them. Even in the Muromachi period, it seems that these rebirth stories were believed.
(I used Google Translate.)