周梨槃特のブログ

いつまで経っても修行中

もののけ三昧 ─日本中世の妖怪変化・怪奇現象─(Yokai and Haunting written in medieval diaries)

怪鳥来襲 ─バケモノの処理法─ (Monster bird appearance! -How to dispose of monsters-)

「妖怪 猫鶏蛇(ねことりへび)」 応永二十三年(1416)四月二十五日条 (『看聞日記』1─29頁) 廿五日、晴、聞、北野社ニ今夜有怪鳥、鳴声大竹ヲヒシクカ如云々、社頭モ鳴動ス、 二またの杉ニ居テ鳴、参詣通夜人消肝云々、宮仕一人以弓射落了、其形…

銀の花

弘安三年(一二八〇)八月三日・四日・七日・二十一日条 (「弘安三年中臣祐賢記」『増補續史料大成 春日社記録』3─60〜67) 三日、申剋、五所の御寶殿ニ等、銀花開之由、神人令申之間、令實檢之處、數十本 (安倍)(土御門) 之間、銀實否依難治定、…

猪突猛進!

宝徳三年(1451)九月十三日条 (『康富記』3─278頁) 十三日戊申 晴、 (中略) 是日或語云、今月七日就春日神木御入洛事、被制止之由、綸旨御教書等被成下南都、 使節奉行三人下向之日、朝之程、於宇治邊、自或藪中猪走出、(割書)「自元負手歟 …

異形の捨て子と連続する怪異 (Abandoned malformed child and weird phenomenon)

宝徳二年(一四五〇)八月九日条 (『康富記』3─196頁) 九日庚辰 晴、 (中略) 給事中令語給云、去月廿三日七條西洞院邊棄兒、人見及分馬之形也云々、依之賀三品 在貞卿尋問先蹤之間、披見諸道勘文、注出先例一通遣之云々、草案拜見了、仁徳天皇 御宇…

須佐神社文書 参考史料1の7(完)

小童祗園社由来拾遺伝 その7 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 貧道生質愚昧にして」目睫さへ見ること不叶、…

須佐神社文書 参考史料1の6

小童祗園社由来拾遺伝 その6 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 又伝ふ素盞嗚尊の御童児の御時は」御名を牛頭…

須佐神社文書 参考史料1の5

小童祗園社由来拾遺伝 その5 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 于茲当山に金牛正銀と云者あり」十方勤化して…

須佐神社文書 参考史料1の4

小童祗園社由来拾遺伝 その4 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 又山かつの昔語ニ素盞嗚尊ハ」伊弉議尊の第四…

須佐神社文書 参考史料1の3

小童祗園社由来拾遺伝 その3 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 人王四十九代」光仁天皇御宇宝亀二年辛亥」詔…

須佐神社文書 参考史料1の2

小童祗園社由来拾遺伝 その2 *改行箇所は 」 を使って示しておきます。また、一部異体字を常用漢字に改めたところがあります。書き下し文についても、私の解釈に基づいて、原文表記を変更した箇所があります。 時に前なる」松の樹小鳩壱つがひ来り、是より…

須佐神社文書 参考史料1の1

【参考史料1】 小童祗園社由来拾遺伝 その1 「解説」(『甲奴町誌』資料編一、一九八八) この記録は小童祇園(現在の須佐神社)の神宮寺別当(貧道か)が小童祇園社の由来にかかわる種々の伝承を書き遺したものである。「二、須佐神社縁起」と同じ内容の…

この〜木、何の木? 餅のなる木〜♪ ─室町時代の餅花史料─

文安五年(一四四八)五月二日条 (『康富記』2─289頁) 二日丁亥 晴、 (中略) 一昨日室町殿祗候了、其時分、自大方殿、椿枝ニ餅之生タル被送進之間、人々稱奇異 見了、同於御前拜見之由令語給、此椿樹ハ嵯峨雲居庵之庭之椿也、赤キ餅ノちいさき が出…

須佐神社文書 その5(完)

一 須佐神社縁起 その5 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 一ひごのくにせらごおりひち村、むとうざんきおんしやふじやこずてんのふちん ざしだいき 座次第記 さんじや おうミやうちこさつす ひかしにじやどくきちんてんのふ、…

須佐神社文書 その4

一 須佐神社縁起 その4 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (讃岐) 太郎王子、そふかふてんのふ、さぬきの國たきのやしろ、こすてんのふ、 (本) (日光菩薩) (大歳神) (魔王天王) ほん地につかふぼさつ、だいさいぢん…

須佐神社文書 その3

一 須佐神社縁起 その3 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 いそ もちゆき (疑) 一ふてあそばし給はゝ、急ぎ持行娘と娵とにかけけれバ、うたがいなくたすかり、 のかる 遁るものなり、 (札守) (立) (弓) こたん將來處に…

須佐神社文書 その2

一 須佐神社縁起 その2 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (崇神天皇) (戊子) (疫癘) 一しゆぢんてんのふつちのへね、天下ニゑきれいはやる、しする物過分、 (欽明天皇) (丙寅) (民) 一きんめいてんのふひのへとら…

須佐神社文書 その1

一 須佐神社縁起 その1 *本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきます。 (前闕) 「 」の中國 (牛頭天王) [ ]國こずてんのふ[ ]にあまつ (伊弉諾) (さなみふたヵ) [ ]七代に當て、いさなきい[ ]はしらの 尊を、中てん[ ]い…

須佐神社文書 紹介

「須佐神社文書解説」 当社は「小童(ひち)の祇園さん」の名前で親しまれている。『芸藩通志』によると「文禄三年甲午(一五九四)毛利氏営造」とあるが、これは社殿の造立を指していると思われる。当社の縁起はそれをさかのぼる文明元年(一四六九)の成立…

福王寺文書22 その7(完)

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その7 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その6

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その6 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その5

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その5 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その4

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その4 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その3

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その3 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その2

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その2 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

福王寺文書22 その1

二二 安藝国金龜山福王寺縁起寫 その1 *本文に記載されている送り仮名・返り点は、もともと記載されているものをそのまま記しています。ただし、一部の旧字・異体字は正字で記載しています。また、本文が長いので、いくつかのパーツに分けて紹介していきま…

ハゲの悩みは超歴史的か!? (Has humanity been plagued by baldness all the time?)

文安元年(1444)八月十九日条 (『康富記』2─89頁) 十九日乙丑 晴、供養妙徳庵坊主、山城国水無瀬、(割書)「或ハ廣瀬トモ云、山崎 ノ南也、」在行基御作阿彌陀佛、金泥、三尺餘、 経数百之星霜、坐一宇之蘭若、近 年破壊、見路道、侵雨露之間、人…

こんなところで産まなくても… (No one thought of giving birth in such a place.)

嘉吉二年(一四四二)十月十九日条 (『康富記』1─306頁) 七社奉幣事、 十九日丙午 晴、 (中略) 是日管領被レ立二両使(割書)「飯尾肥前入道、松田対馬入道、」於石清水一、是 自二社家一有二注進一云、猪之鼻辛櫃石邊にて妊婦令レ産レ子令二触穢一…

中本誠四郎氏所蔵文書1

解題 俗神を列挙しており、当時の民間信仰の状態を示すものとして収録した。当家は江戸時代には森下を称し永原村(現佐伯郡佐伯町)の社倉十人組頭などをつとめていたと伝えている。 一 宮法師丸修祓請文 (前闕) 「 」 謹請 サケ⬜︎ノ [ ] 謹請 コノハカ…

イカれた女 Part1 〜不法侵入とお告げ〜 (A crazy woman)

文安四年(1447)五月一日条 (『建内記』8─122) 一日、壬辰、晝雨、 (中略) 政所 (貞國) 伊勢入道眞蓮許へ女房十六七歳ナルカ於庭徘徊、老若成畏怖、又狂人かと尋之、彼 (足利義教) 云、非物狂也、我ハ普廣院殿御使也ト云、其證如何ト問ケレ…

空飛ぶカワラケ! 〜未確認飛行物体 その1〜

文安四年(1447)三月十二日条 (『建内記』8─27) 十二日、癸卯、天霽、 (中略) 傳聞、先夜天有光物、其勢、如土器二十許連續飛天、入空中云々、 「書き下し文」 十二日、癸卯、天霽れ、 (中略) 伝え聞く、先夜天に光る物有り、其の勢い、土器二…