2016年 北大・歯学部・推薦
問1
実験用の成熟ネズミが摂取した重窒素はエネルギー源として燃やされ、その燃えかすに含まれる重窒素はすべて尿中に出現するというシェーンハイマーの予想は、与えられた重窒素の56.5%が身体を構成するタンパク質の中に取り込まれ、その取り込み場所もあらゆる部位に分散していたという実験結果によって裏切られた。
(148字)
問2
実験ネズミはその形態や体重を変化させていない。したがって、ネズミは新たに摂取した重窒素アミノ酸をもともと存在していたタンパク質の一部に挿入するのではなく、高速で一から紡ぎ合わせて新たなタンパク質に組み上げ、同じ量の既存のタンパク質を同様の速度でバラバラのアミノ酸に分解し体外に捨てている、ということ。
(150字)
問3
「壊れる例」
生活習慣や加齢、突然変異などによって、遺伝子が損傷し、がん細胞が発生する。増殖抑制が機能しないがん細胞は増えつづけ、体の重要な組織を破壊することで、生体機能に障害を与え、最悪の場合死に至らしめる。
(98字)
「抗う例」
がん抑制遺伝子の働きにより、細胞のDNAに生じた傷を修復したり、損傷した細胞にアポトーシスを誘導したりして、がん化に結びつく危険のある細胞をあらかじめ分解し、増殖を防ぐことで、生命を維持しようとする。
(100字)
問4
シュレーディンガーは、エントロピー増大の法則に抗って、生命体としての秩序を維持することが生命の特質であると述べたが、秩序とは、乱雑さが蓄積される前に構成成分を分解・再構築し、それを外部に捨て去ることで生じている動的平衡状態のことであり、そこに現れている流れこそが生命であると再定義できる、ということ。
(150字)
2015年 北大・歯学部・推薦
問1
身体はそれが正常に機能している場合には、それとしてはほとんど意識されることはなく、ふつうは素通りされる透明なものであって、その存在にほとんど厚みがない。しかし、その同じ身体が疲れきったり、病に侵されたりすると、不透明な腫れぼったい厚みをもったものとして現れてくる。無意識にしていた行為や経験が特別なことに感じられ、身体が自己と世界とのあいだに壁のように立ちはだかり、よそよそしい異物として迫ってくる。
(200字)
問2
身体とは、皮膚に包まれている肉の塊のことで、その皮膚が〈わたし〉という存在の表面であり限界である、と考えられている。しかし、人間は使用している道具や衣服の表面を自分の表面と感じたり、自己のテリトリーと外界の接触面を自分の限界と感じたりもする。また、気分が塞いでいるときには、自分の肌ですら外部のように感じられる。このように、身体の占める空間はその皮膚を超えて、感覚的・心理的に伸び縮みするのである。
(199字)
問3
わたしの存在を支える本質的な部位に限って見ることができないため、身体経験は断片的になる。それらを想像や解釈によって、一つの像として構成したものがわたしの身体であり、それゆえ脆くて壊れやすいものである。
(100字)
問4
現代人は成長するにつれて身体の社会性を失い、自他の身体の区別ばかりに注意が行くようになる。だが、身体は自分だけのプライヴェイトなものでありながら、公的に監視され統制されているものでもある。こういう二重に引き裂かれた状態によって、実体として誰ものかわからなくなっているところに、現代の身体問題がある。
(149字)
2013年 北大・歯学部・推薦
問1
花に水をやるという具体的で小さな脈絡の意味を理解する道具的能力ではなく、その時の天候によって、実際に水をやるかやらないかを判断するように、常に変化し続ける複雑な状況に合わせて、複数の行動プランを同時に想起し、それらをしばらくの間、把握し続けながら、生活の中でどういう位置を占めるのかという大きな脈絡の中で、プランの効果や意味を比較し、必要に応じて一つを選択するという、前頭前野の働きが担う知能のこと。
(200字)
問2
形態弁別段階とは、外界からの刺激を形として知覚する段階で、脳の情報処理水準で言うと、比較的浅い段階にとどまり、記憶に残りにくい。一方、意味理解段階は、形態弁別段階以後に意味として理解する段階で、情報処理水準がより深い段階にあり、ものごとの意味やイメージを心に強く刻みつけるため、記憶にも残りやすい。また、後者において心の処理が深まっている状態は、物事に対する理解もより深まっていることを示している。
(199字)
問3
答えが自分の頭の中に用意できるというのは、自分の頭の中にモデルが準備されていて、それと重ね合わせることができるということである。会話の場合、相手の言葉と自分のもっている言葉との重ね合わせがうまくゆくとわかったと感じられる。また、邪馬台国の場所を特定するといった複雑な場合でも、考え方のモデルをよりどころとして、『魏志倭人伝』の記述を正確に解析し、日本の地理に当てはめてゆくことでわかったと感じられる。
(200字)
問4
我々には2つのわかり方があり、それらを駆使して社会に立ち向かっている。1つは、重ね合わせ的理解と呼ばれるもので、知らないことに遭遇したとき、すでにわかっている説明の仕方を自分の判断基準として理解しようとすることである。もう1つは、発見的理解と呼ばれるもので、わからないことについて仮説を立て、実験・実践しながら理解してゆくことである。はっきりとした答えのない自然や社会の中で生きてゆくためには、後者が必要であり、人間は自分なりの答えや生き方を発見し、工夫し、実験していきながら、自分自身で新たな仮説を作らなければならない。そうすることで、大きい意味や深い意味を発見することができるようになるのである。
(300字)