「仏通寺住持記」 その3
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然後五派勉而不レ弛二先規一于レ今百有余年矣、竊以歴代好古筆力
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将二漸衰一、懼 迨下乎強弩之末勢不上レ能レ穿二魯稿一也、獣也
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不レ愧二迂闊一、或論二考同志之法友一、或請二問知古之耆宿一、
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把二華五派簡編私記一、網二羅今古放失旧聞一、雖レ未レ尽レ善
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編二添二巻一、聿合 成二三巻一以充二全備一焉、伏 希不レ怑二旧規一
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番々不レ 閣レ 筆也、人焉閣哉祖父田中有二東作西収之望一、
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続芳万世法門潤色 此任阿誰猶有二住山在一矣、于レ時延享第二乙丑年
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梅天中浣吉祥日、肯心派瑞雲庵主等極、欽序
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各乞高覧台照、伏 望 衆悉
「書き下し文」
然して後五派勉めて先規を弛めず今に百有余年、竊かに以いれば(以てヵ)歴代好古の筆力将に漸く衰えんとす、懼くは強弩の末勢魯稿を穿つこと能はざるに迨ばん、獣や迂闊を愧じず、或いは同志の法友に論考し、或いは知古の耆宿に請問して、五派簡編の私記を把華し、今古放失の旧聞を網羅して、未だ善を尽くさずと雖も、二巻を編添し、聿に合して三巻と成して以て全備に充つ、伏して希くは旧規を怑はず、番々筆を閣かざらんことを、人と焉んぞ閣かんや、祖父田中東作西収の望み有り、続芳万世法門潤色此の任阿誰ぞ猶を住山の在る有り、時に延享第二乙丑年梅天中浣吉祥の日、肯心派瑞雲庵主等極、欽みて序す、
各々乞ふ高覧台照せよ、伏して望はくは衆悉せよ、
「解釈」
その後、肯心院・長松院・永徳院・両足院・正法院の五派は、けっして先規を緩めず、今に至ること百年以上になる。人知れず、歴代の故実を好む人々の筆力は、だんだんと衰えつつある。驚くことには、初めは強いものでも衰えて力がなくなり、何事もできなくなろうとしているのである。獣は不行き届き恥じることはない。あるときは同志である仏法の友と議論し、あるときは旧事を知っている高徳の老僧にお尋ねし、五派それぞれが簡潔に編纂した私記の要点を取り上げ、昔から今までに失われた古い話を網羅して、いまだに完璧なものにはなっていなが、編集してさらに二巻を増刷し、ひとまとめにして三巻として、完全な記録とした。どうか、旧記に従わず、住持記を書き継ぐことを止めてはなりません。私も人も筆を止めることはない。祖父は田の中で耕作し収穫する望みをもっていた。仏通寺の法門を永久に継ぎ、栄えさせる任は、寺に住んで修行するどの僧侶に任せるか。時に、延享二年(1745)五月中旬の吉祥日、肯心派瑞雲庵主等極が、謹んで序文を記す。
どうか各々がご覧になって点検してください。慎んで皆がそうすることを願います。
*わからないところについては、強引に書き下し、解釈しています。
つづく